以下の写真は、ジョーンズタウン協会のローラ・ジョンストン・コールとフィールディング・マギーから提供された。大半はジョーンズタウンとして知られる米国のカルト、人民寺院農業計画の誰かによって撮影された写真だが、撮影者は不明なものが多い。1978年11月18日、リーダーのジム・ジョーンズに率いられ、ジョーンズタウンの住民たちは集団自殺を決行する。1978年11月18日、南米のジャングルを開拓して築いた小さなコミューンで、900名以上の米国民が集団自殺を決行する。この事件は、2001年の同時多発テロまで米国史における最大の犠牲者数を記録した事件となっている。ジョーンズタウンと人民寺院の物語は、あの夜に始まったわけでも、終わったわけでもない。しかし、数十年にわたるセンセーショナルな報道やプロパガンダ活動、矛盾のあるさまざまな主張により、フィクションと事実を分けることが難しくなっている。
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2010年、ジョーンズタウンの元住民と人民寺院の元メンバーで構成されるジョーンズタウン協会は、ジョーンズタウンで収集された何千もの文書と写真を公開するようFBIに要求した。初期の頃の写真には、手造りの家屋や、南国の太陽の下で華麗に3ポイントを決める少年たちが写っている。しかしもちろん、ジョーンズタウンはその見た目どおりの場所ではない。大半の写真が、人民寺院のリーダーであるジム・ジョーンズにより行われた、本国の懸念を払拭するためのプロパガンダ活動の一環として演出されたものだ。実際、住民たちは深刻な栄養・睡眠不足状態のなか、照りつける太陽の下で週7日働きづめだった。ジョーンズはメンバー全員の貯金や生活保護手当を集め、米国が人種隔離状態に戻り、アフリカ系米国人の権利が剥奪される、という恐ろしい噂やフェイクニュースを流した。人民寺院はもともと人種平等を掲げて設立されたため、集団自殺被害者の4分の3はアフリカ系米国人だった。ジョーンズタウンは「全ての人種、信条、肌の色が心から歓迎される」社会主義者のユートピアとして、ジャングルを切り開いて築かれた。最終的にジョーンズが精神を病み、シアン化物入りのクールエイドが恐怖や精神的な拷問に支配された生活から逃げる道となった。しばしば目にするセンセーショナルな報道とは違い、盲目的信仰が飛躍して自殺に至ったわけではない。秘密裏に残された遺書によると、ジョーンズタウンとその人種平等の約束のほうが、米国よりも自分たちを迎え入れてくれたように感じたという事実を、彼らの死により世間に知らしめることが多くの被害者の望みであった。何十年にもわたり、この集団自殺の意図はセンセーショナルな報道により見えにくくなってしまっていたが、演出されているにしろいないにしろ、これらの写真は住民たちのリアルな姿を記録している。彼らは友人たちであり、家族であり、皆よりよい世界で暮らすチャンスを求めていただけだった。
ジョーンズタウンのメンバーたち。左から右に、リューとチェオーク・ジョーンズ、クリスタ・アモス、ジョエル・コブ。