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VICE編集部が本気で選んだ、2010年代ベストアルバム100

時は2019年。テン年代ももう終わる。この10年にリリースされた、2010年代を象徴する重要アルバムを、全ジャンルからたったの100枚選ぶことなんて可能なのか?いや、不可能だ。でも私たちはやり遂げた。ここに、米国VICEを中心として選び抜かれた100枚を一挙紹介する。
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illustrated by Alex Jenkins
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translated by Ai Nakayama
Tokyo, JP
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translated by Nozomi Otaki

音楽はこの10年で、とてつもなく変化した。ユースカルチャーにおいてはヒップホップがロック、ポップスを凌駕し、EDMが成長、衰退し、そのあとをトラップ、そしてSoundCloudラップが席巻。下品を極めたR&Bが再び登場し、ニューメタルは二度目の春を迎えている。ボーイズグループもカムバック。私たちが知る〈インディロック〉はかたちを変え、ジョン・マウスやアレックス・Gをはじめとする、ディープでダークで、より変態的な、より小さなジャンルへと細分化された。これまで使われてきたジャンル区分は意味を失い、ビリー・アイリッシュ、BROCKHAMPTON、DEAFHEAVENなど、分類不可能なアーティストたちが日々の話題をかっさらっている。Lil Nas Xのように、アーティストがひと晩で天まで届くほどの名声を得ることだって可能になった。そしてストリーミングサービスの浸透により、私たちはいつでもどこでも、無限の音楽ライブラリにアクセスできる(アルゴリズムの話はいったん置いておこう)。

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そう、音楽はかつてないほどの民主化を遂げたのだ。それでも、知らない音楽はまだまだたくさんある。そんな状況でどうやって、この10年を象徴する重要作品を100枚選べばいいのだろうか。そんなの絶対に不可能だ。しかし私たちはやり遂げた。100位から順番にご紹介しよう。


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2010年がこの10年の展開を示唆していたとわかっていれば、私たちはきっと、SALEMのデビューアルバム『King Night』をもっと真剣に捉えていたことだろう。狂気を宿すクリスマスソングのリミックス、自動車事故のノイズ、チョップド&スクリュードされたヴォーカル、ヘヴィなシンセなど、THREE 6 MAFIAとドビュッシーから同等に影響を受けているかのように、様々な要素をごた混ぜにしたダークで奇妙な本作は、リリース当時は賛否両論だった。しかしリリースから約10年経った今では、この作品こそ、テン年代のユースカルチャーを特徴づける過剰なニヒリズム(ドラマ『ユーフォリア/EUPHORIA』から顔じゅうにタトゥーを施した違法スレスレのラッパーたちまで)の強力な宣言だったことは明らかだ。

ビッチについてモゴモゴと不明瞭に歌ったり、『New York Times』のインタビューで悪びれず居眠りしたりする米国中西部出身の白人キッズのグループSALEMが、いかにしてこれほど預言的なアルバムをつくったのかは不明だが、ウィッチハウスに分類されるであろう分裂症的な本作は、Lil Uzi Vertやクラムス・カジノに先んじたガレージバンド・ヒップホップ、ダークウェイブ、語尾に〈ゲイズ〉と付きがちなその他雑多な極小ジャンルの礎となった。今考えると、本作は米国で爆発的に広まったオピオイド(麻薬系鎮痛剤)問題も予感させている。収録曲はこの10年で、『Skins - スキンズ』、Givenchyのファッションショー、映画『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』のハウスパーティーの場面などで使用された。同シーンでは、十代の少年がこう叫ぶ。「オキシ(※オキシコンティン=オピオイド系鎮痛剤の一種)欲しいやついるか?」。ぜひいただきたい。私たちには必要だ。(Hilary Pollack)

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カーディ・B(Cardi B)以前の世界を思い出すなんて不可能だ(時空間の原則に従えば、確かに存在したはずだが)。元ストリッパーで、最近では審査員として出演した『リズム+フロー』も話題となった彼女。2017年のシングル「Bodak Yellow」の、削ぎ落とされたスカスカのトラップビートに漂う痛烈なラップは、一時期はどの車からも大音量で漏れ聞こえてきたほどだった。『Gangsta Bitch』と題したミックステープを発表していた彼女がそのままの路線でヒット曲を連発し続けていてもおかしくなかったが、カーディはその道を選ばなかった。その代わり、2018年4月にリリースしたのが『Invasion of Privacy』。48分にぎゅっとまとめられた本作は、捨て曲いっさいなし。曲ごとの振り幅を語らずに、カーディは語れないと思わされた。過去のカーディの曲とは違うサウンドの曲ばかりだが、今の自分の生活を捨ててカーディみたいになりたい、と願わずにはいられない。カーディは今やスターとして盤石の地位を誇っているが、その理由を証明するのがこのアルバムだ。(Rupa Bhattacharya)

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メジャーなポップソングにおいて、ここまで高らかに響くサックスソロはあるだろうか? 麻薬となる毒物を分泌するカエルを題材にした曲で、ここまで心がほっこりする作品はあるだろうか? 2010年代において、ここまで心を打つスラップベースを、何の含みもなく使っている曲は他にあるだろうか? この10年で、『Hurry Up, We're Dreaming』以上に、作品の世界観が一貫していて、感情を揺さぶるダブルアルバムはあるだろうか? 2011年に発売された22曲入りの本作は、さながらスタジアムライクなポップミュージックの浅い池に投げ込まれたひとつの岩だった。その岩がもたらした衝撃は、いまだ消えていない。フランス人アーティスト、アンソニー・ゴンザレスは、U2、ピーター・ガブリエル、SMASHING PUMPKINSを彷彿とさせる音を奏でつつ、彼らの音楽以上に壮大で、深遠で、尋常ならざる音楽が可能であることを示している。しかし、本作はただ単に、フェスでメインステージを飾るような大御所ロックバンドの良いところを抽出、増幅させているわけではない。むしろ、M83らしさが最大限に発揮された作品だ。憂いを帯びたキッチュ、一対一の親密さを感じさせるようなアンセム、誰もに思い当たる節がある、夢のなかのロジック。アンソニーの非凡な音楽を特徴づけるそれらの要素が、彼が到達すべき、果てしないフィールドに広がっている。(Patric Fallon)

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2010年以来、(SANDY) Alex Gことアレックス・ジャンナスコーリ(Alex Giannascoli)は実に精力的に活動してきた。控えめでありながらエキセントリックなアルバム群をBandcampにアップロードするところからスタートし、それからRun for Cover Records、そして現在はDomino Recordsから作品をリリース。それぞれに輝きや才気が光る彼のディスコグラフィは、じわじわと人気を獲得してきた。

今年リリースされたばかりの最新作『House of Sugar』は、おそらく、彼の幅広い作風のソングライティングや冒険心がもっとも見事に表れているといえるだろう。また本作は、いちばんわかりやすい作品ともいえるかもしれない。哀しみをまとう「Hope」、どことない不安感を与える「Crime」などでは、ひねりのない彼のメッセージが伝わる。しかし、彼の変態性や耳に残る違和感ももちろん健在。オープニングを飾る「Walk Away」では、歪められたり、ループされたり、重ねられたりと編集が加えられた彼の声が、心地の悪い不協和音を生み出している。しかもその心地の悪さは、曲が進むにつれていよいよ高まる。よりキャッチーな「Southern Sky」や「Gretel」のおかげでど直球のインディロックらしさを感じるものの、それに続く曲は実験的な要素が思いがけず強い。「Project 2」はアンビエント的な奇妙な雰囲気を醸し出し、「Sugar」は甲高いストリングスの音が耳を刺す。と思えば、続く「In My Arms」は優しいアコースティック。その落差には驚くが、それこそ、(サンディー・)アレックス・Gのような、みんなの予想を軽やかに超えていくことのできるアーティストにしか成し得ない離れ業だろう。(Josh Terry)

nothing - guilty of everything

カート・コバーンは1994年に死んだ。つまり、カートの命日に生まれた赤ん坊は、今25歳ということだ。NIRVANAのレガシーはいまだに色濃く残っているといえるだろうが、NIRVANAが生まれた土壌、すなわち90年代に再興した、アンセミックなヘヴィロックがシーンから消えて久しいような気もする。しかし、カートの音楽的なセンスと初期のSLOWDIVE、ゼロ年代初頭のハードコアを掛け合わせたようなバンドがいる。それがフィラデルフィアのNOTHINGであり、彼らの2014年のアルバム『Guilty of Everything』は、インスタグラムとザナックス(※抗不安薬、若者のあいだで蔓延し、英国、米国などでは社会問題となっている)の世代が必要としている『Nevermind』的作品なのだ(当人たちがその事実を意識していないとしても)。

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本作は忘れかけていたギターの轟音を思い出させる、まさにグランジ精神を体現する38分間の宇宙旅行。ポスト・シューゲイザー的な歪んだギターが互いに絡み合い、まるで太陽フレアのよう。そして内省的でささやくようなヴォーカルが、フロントマンであるニッキー・パレルモ(Nicky Palermo)の自己受容への旅を物語る。音の壁、爆発するリヴァーブに包まれながら、「もし解放したいなら」とマントラのように唱える「Bent Nail」は至高だ。

「僕は両手を上げ 跪く」「僕は降伏した それでも君は撃つ/僕はすべてにおいて有罪だから」と歌う「Guilty Of Everything」の詞には、誇張しすぎだ、と思うひともいるだろうが、実はニッキーは、2000年のBLINK 182のライブ会場の外でケンカして、相手の男をナイフで刺した罪で2年の刑務所生活を送っている。しかしそれは瑣末なことだ。カート・コバーンは死んだが、グランジの最良の要素は死んでいない。それこそが事実なのだ。(Hilary Pollack)

floral shoppe - macintosh plus

マッキントッシュ・プラス(Macintosh Plus)が、チョップド&スクリュードしたシャーデーのサンプルなどを盛り込んだこの〈フローラルの専門店〉をオープンして以来、すべてが変わった。本作は数々のミームを生み、ヴェイパーウェイブを決定づける記録として、そして2010年代という実に奇妙な10年を象徴する、ハッピーで変な作品として残ることだろう。新しい世代にキッチュを提示しながら、私たちの〈センス〉の定義を完全に変容させた作品だ(ちなみに、本作はトランス女性が制作した。ヴェイパーウェイブというジャンルの起源をみんな忘れてはいけない)。

ダイアナ・ロスの「It's Your Move」の不安にさせるようなリミックス、DANCING FAMILYの「Déjà Vu」という忘れられていたニューエイジ・ミュージックの至高のループなどで、本作は聴く者に数々の問いを投げかける。昔のAORのテンポを遅くすることは、〈音楽を作る〉といえるのか? 心をざわつかせる収録曲は、今の屈折しきった世界に対する警告なのか? どっかに放っておいた往年のフィル・コリンズのアルバムを全部引っ張り出して聴き直すべきときが来たのか?

とにかく、『Floral Shoppe』は、私たちに新しい音楽の聴きかたを教えてくれた。不合理で、シュールで、予言的な音楽の聴きかただ。このディストピアのファンタジアに、私たちはきっと追いつくことだろう。(Sam Goldner)

the hotelier - home, like noplace is there

本作の収録曲はすべて、会場を埋めつくすオーディエンスたちと、汗をかきながらいっしょにシングアロングするための音楽だ──。エモというジャンルのアルバムにとって、これ以上の賞賛の言葉はないだろう。1曲目の「An Introduction to the Album」は静かに始まる。しかし始まって18秒でクリスチャン・ホルデンのヴォーカルが入ると、荒削りで全力のエモーションが最後まで本作を貫くことを私たちは悟る。本作はバンドの最高傑作であり、本作をきっかけに、THE HOTELIERはエモを代表するグループとなった。

『Home, Like Noplace Is There』は実にエモーショナルで、演奏は力強い。「The Scope of All of This Rebuilding」の、「君は俺たちのロープを切った/へその緒で繋がれた関係を残して」という歌詞は悲痛な叫びとして繰り返され、壊れてしまった関係を嘆く。いっぽうホルテンは、「You Deep Rest」で、自殺で亡くなった友人への罪悪感を吐露する。「君は言った/『俺のことを思い出してくれ 俺のために/俺の魂を解放しないと』」。「Life in Drag」は短い曲だが、2分半のあいだにジェンダーアイデンティティと格闘するさまを叫ぶ手紙となっている。

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本作は陰鬱で、エネルギーと苦悩に満ちた作品だが、その苦悩から解放されるときがいつ来るかも分かっている。抑圧されたエネルギーを気が狂ったように発散させながら、ゆっくり呼吸をする時間も与えてくれる。(Bettina Makalintal)

skrillex - scary monsters and nice sprites

スター御用達のプロデューサーとなる前、あるいは彼の音楽が映画における快楽主義の代名詞となる前(cf.『スプリング・ブレイカーズ』)、スクリレックス(Skrillex)がしようとしていたのは、怒りを叫ぶことだった。ネオンの光が溢れるエド・バンガーのセットと、UKクラブシーンの胃のなかをかき混ぜるような重低音を武器に、彼は『Scary Monsters and Nice Sprites』でUSダブステップ界の自称ロックスターとなった。あえてギラギラさせた音色、知性をどこかに置いてきたような吹っ切れかた、限界まで上げた大音量。その3つの特徴を有した彼のビートは、いまやヒットソングの絶対条件となっている。ニセモノのスクレリックス・フォロワーが乱立したり、ベガスの人気クラブではスクレリックスの曲のせいで迷惑行為が続いていたりしたが、それで彼を責めるのはさすがに忍びない。実はDAFT PUNKがちょっと修正を加えられたT-1000だったとしたらこういうサウンドになるかも、と思わせる「Kill Everybody」をはじめとする収録曲で、彼は私たちを絶頂へと導いてくれたのだから、許してあげるべきだろう。

このアルバムの前に、〈良いセンス〉なんかを持ち合わせてもしょうがない。おとなしく彼のドロップに屈服しよう。(Colin Joyce)

elysia crampton - american drift

ボリビア系米国人のエリジア・クランプトン(Elysia Crampton)の音楽は、電子音楽ジャンルにおいて燦然と輝く傑作であると同時に、実にパーソナルな作品でもある。2010年代初頭、彼女がE+E名義で発表していた頃の音楽は、クンビアから影響された強いビートと、時に攻撃的なノイズを取り入れた米国ポップス、という印象だったが、2015年に初めて本名でリリースした『American Drift』は、アメリカの植民地時代がもたらす影響を、先住民としてのアイデンティティや歴史に対する彼女自身の感覚で掘り下げ、より本質に迫った作品となった。クランプトンの複雑なサウンドを構成するのは、何層にも重ねられたシンセサイザー、単調なヴォーカル、催眠にかけるかのようなMIDI的なギター、そして時折鳴るビデオゲームのサウンドトラックを思わせるピコピコ音。サンプリングも使用されているが、目立つところに置かれているというよりはテクスチャーとして鳴っている。また、銃声、鳥のさえずり、虫の声が、曲に〈場所の感覚〉を与えている。クランプトンは、チーノ・アモービ(Chino Amobi)をはじめとする同世代アーティストと並び、リアルタイムで電子音楽の非植民地化を進めている。その可能性は計り知れない。(Lewis Gordon)

gojira - magma

『The Way of All Flesh』でヘヴィメタルシーンに躍り出たGOJIRAは、世界を席巻した。少しでも可能性がありそうなエクストリームバンドは〈ネクストMETALLICA〉としてちやほやされていたあの時代、フランスのバイヨンヌ出身のこの4人組バンドは、確かに〈本物〉に肉薄していた。驚くほど聡明な咆哮する歌詞に、美しい旋律の波(それでいてリフとしての役割も忘れていない)。そしてバンド史上最高傑作となったのが、その2枚後にリリースされたアルバム『Magma』だ。グラミー賞にもノミネートされた本作でGOJIRAは、これまでの特徴も保持しながら、激しいデスメタルボイスとクリーンな歌唱を使い分けたり、メロディにより力を入れた(それでも軟弱なサウンドにはなっていない)。「Silvera」や「Play」はGOJIRAらしいリフを取り入れたスラッシュ、MESHUGGAHを思わせる〈マス・チャグ〉を大胆に鳴らしているが、みんな大好き表題曲の「Magma」や「Yellow Stone」では、クリーンでサイケ感のあるギターが吼える。本作がGOJIRAにとっての『メタル・マスター』になるかどうかはまだわからないが、それが判明するまでは、この最高な作品をリピートしていよう。(Fred Pessaro)

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Mac Miller - Swimming

かの有名なアリアナ・グランデとの破局、そしておそらく彼が薬を断っていた期間の真っ只中に制作された本作は、マック・ミラーの人生に起きたあらゆる出来事を総括しているといえるだろう。美しいストリングスから始まる「2009」は過ぎ去った時間を懐かしみ、1曲目の「Come Back To Earth」は、過去の過ちにフォーカスしつつも未来を見据えている。それでも、本作は決してノスタルジーに浸るアルバムではない。あくまで理性的で、耳を傾ける私たちの気分を落ち着かせてくれる。リリースから程なくして彼の訃報が世界を駆け巡り、その切なさが増した今も、時を超えて愛される作品だ。(Ryan Bassil)

The War on Drugs - Lost in the Dream

私たちはみんな、自分は親より賢いと思っている。彼らは老いぼれで愚かだ、と。14歳の私たちは、ベッドルームで『Enema of the State』をかけ、父親がガレージで流しているボブ・シーガーをかき消すしかなかった。しかし、30代を迎える頃、ふとマリファナを楽しんだあとに聴く『Full Moon Fever』の素晴らしさに気づくかもしれない。ある日、ドラッグストアで流れる「I'm On Fire」に、自分も〈いけない欲望〉を抱えていることに気づかされる。その次はロッド・スチュワートが聴きたくてたまらなくなる。ずるずると滑り落ちるように。そして最後に行き着くのが、THE WAR ON DRUGSの『Lost in the Dream』だ。固定電話を使っていたあの頃が懐かしくなるような、ダッド・ロックのすべてが詰まっている。フロントマンで作曲担当のアダム・グランデュシエルは、フォーク、シューゲイズ、アンビエントなどさまざまな要素を取り入れ、本作をわかりやすいオマージュというより、アメリカーナに関するポストモダン的な省察に仕立て上げた。「Under the Pressure」をはじめとする収録曲には、独特の雰囲気を醸し出す間奏、高まるシンセライン、ドラムマシンなど、さまざまなレイヤーが重ねられており、漠然とした、きらめくような美しさを生み出すとともに、80年代のセンチメンタリティを呼び起こす。もしあなたがブルース・スプリングスティーンを大音量で流しながら、夕日の沈む湖畔でマスタングを走らせる夢を見るとしたら、本作は映画『インセプション』のような〈夢のなかの夢〉なのだ。(Hilary Pollack)

pile - dripping

PILEを評するには、まず彼らの影響力に触れなければいけない。小規模ながら熱狂的なファンベース、彼らが先頭に立ってボストンに復興させたギターロック、KRILLが彼らのコンセプトアルバムをつくったという事実…。しかし、どれも些末なことだ。本作『Dripping』を聴くことは、独立した、唯一無二の体験なのだから。本作に収録されているのは、鬱々とした、米国を体現するような楽曲の数々。フラナリー・オコナーのゴシック小説の世界だ。複雑な楽曲から成る迷路のような本作は、あえて聴く者をうろたえさせようとしているかのよう。次の展開が予想できず、リリースから7年経った今も、曲の構成についていくのが難しい。「Baby Boy」のボソボソと呟くような歌声、「Steve's Mouth」の半ばあたりの卓越した2小節のリフ、「The Browns」の足がつりそうなキック。ここがもっとフェアで良い世界なら、本作は数十年先までみんなのトップ10に入っていたはずだし、誰が何をテーマにどんなEPをつくったか、なんてどうだっていいはずだったろう。でも残念ながら、この世界ではかろうじてトップ100に食い込む程度だ。まあ、それも仕方ない。(River Donaghey)

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jeremih - late nights: the album

飛行船はおろか、プライベートジェットでセックスしたことがあるひとなんて、数えるくらいしかいないだろう。しかしジェレマイ(Jeremih)のおかげで、私たちはそれがどういう体験か知っている。何もない空間にこだまする音、どことなくセクシーなデススターの赤いパネルのように震えるシンセサイザー。彼は他の誰にも到達できない領域に達したのだ、という畏怖の念に襲われる。

R&Bはこの10年で批判だらけのよどみを抜け出し、れっきとしたアートへと成長を遂げた。その内容は、ラジオを席巻している、ネオンが光るアルコール漬けのクラブの光景から、ブログに書かれているようなクスリ漬けの陰気な内省に取って代わった。ジェレマイは風向きが変化するなか、その上空をひとり孤独に飛び続けていた。大麻を吸うときやセックスの最中に聴きたくなるような音楽でありつつも、宇宙の彼方に浮かぶ電子音の星雲を探索する、数少ない冒険者のひとりとして。彼はその軽薄なリリックと深遠なメロディの距離を測りながら、音楽史における今という時代のおもしろさの核心に、誰よりも迫ることになった。

ゼロ年代後半のラジオでヒットしたロボティックなサウンドと、アンビエントでメロディックなトラップのあいだを漂う「Late Nights」は、これまで蔑ろにされてきた音のアイデアを、然るべき曲として完成させた。澄んだメロディラインが印象的な、ハイな客が集うクラブにぴったりの「Pass Dat」。ミニマルなシンセパターンがどこかRADIOHEADを彷彿とさせ、自信に満ち溢れたリリックを紡ぐセクシーなラップナンバー「Feel Like Phil」。午前2時にカセットテープが立てるノイズのような「Woosah」。ジェレマイは、常人なら道半ばで挫折してしまうような傑作を、彼の書くリリックが中心に据えているテーマと同様、機敏ながら力むことなく、いとも簡単に完成させたのだ。(Kyle Kramer)

FKA Twigs - LP1

ジェシー・カンダ(Jesse Kanda)が手がけた、赤い模様がアザのように広がる不思議な美しさを有したドールフェイスをフィーチャーした『LP1』のジャケットは、性の悦びと痛み、女性の強さ、そして脆さにフォーカスするアーティストを知るには完璧な一作だった。エンパワーメント・フェミニズムの時代において、FKAツイッグス(FKA Twings)の何かを必死に求めるような、官能的で破壊的なポップスは、人間の体験を深く掘り下げる。彼女の恋人に対する命令めいた言葉は、脅しや駆け引きと誤解されかねないほどだ。「Two Weeks」は、シンセが絶頂へと上り詰めていくなかで、私たちを「最高以上の高みへ」連れていこうとするが、太ももに爪を立てるように、「私なら彼女よりもうまくヤレる」と豪語する。彼女は私たちの身体を引き裂いたかと思えば、本作の中盤に収録されたの「Pendulum」は、自らを「あなたの小さなラブメイカー」と称し、リスナーを魅了する。彼女のハトのような甘い囁き声を扇情的なメロディが取り巻き、絶頂へと向かっていく。この細部まで緻密にコントロールされたデビューアルバムで、彼女はアルカ(Arca)、デヴ・ハインズ(Dev Hynes)、クラムス・カジノ(Clams Casino)、サンファ(Sampha)などそうそうたるメンバーをプロデューサーに迎えながらも、収録曲のいくつかでは共同プロデュースを務めている。それこそが、彼女があらゆるひとを惹きつける完璧主義者たる証だ。

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FKAツイッグスは現代でひときわ異彩を放つアーティストのひとりであり、過去10年で最高のセックスジャム・コレクションを世に送り出してくれたことに、私たちは感謝するべきだろう。(Hannah Ewens)

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ワイリー(Wiley)ファンであるということは、彼が普通ではないと認めるということだ。彼は文字通りグライムというジャンルを生み出したが、そのシーンを代表するスターとなったのは、彼の愛弟子ディジー・ラスカル(Dizzee Rascal)だった。そんなワイリーも、2008年にリリースした「Wearing My Rolex」でようやくブレイクし、ディジーに追いつくことになる。しかしワイリーは土壇場になってMV出演を辞退。タブロイドは彼が映像に登場するキツネを怖がったためだ、と書きたてた(彼自身は「ワイリーが動物を怖がるわけないだろ」と強く否定した。後日、彼が撮影数日前に暴漢に襲われたことが明らかになった)。以前、私の友人がイビザ島でワイリーを取材したさい、何気なく席を外した彼が結局戻ってこず、4時間後のツイートでスコットランドにいることが判明した、などというエピソードもある。

彼のために言っておくと、音楽業界というのは許し難いほど最悪な場所で、それを変えようにも個人にできることは限られている。2010年、ワイリーはそれを嫌というほど味わった。アルバム『The Elusive』のリリースを遅らせるレーベルに苛立った彼は、ラップトップ1台分の未公開音源をネット上で公開した。それがこの『Zip Files』だ。インストゥルメンタルからグライム、大ヒット間違いないポップスまで、合計200曲を超える楽曲の数々は、ほとんどが彼のキャリアにおける最高傑作で、トラックの多くは未完成ながら彼の見事な創造力を垣間見せる。

この音源公開は彼にとって浄化作用があったらしい。その後の彼の活躍はめざましく、次から次に集中的なプロジェクトを発表し、〈グライム界のゴッドファーザー〉としての真の地位を確立していく。(Drew Millard)

nicki minaj - the pinkprint

ニッキー・ミナージュ(Nicki Minaj)の『The Pinkprint』は、彼女の10年に及ぶラップ界での君臨を証明するにふさわしい作品だ。前作では、数え切れないほどのカラフルなウィッグ、リスナーを置き去りにするような独創的なフローで、奇抜なキャラクターを演じた。クイーンズ育ちの彼女は、メインストリームの〈女性ラッパー〉となるための方程式を解き明かし、ヒップホップの男社会のど真ん中に降り立った。しかし『The Pinkprint』でニッキーは王座をアクセサリーにして、その後ろでストリップをしてみせた。彼女はありのままの自分でいながら、ポップスとラップが融合したアルバムで成功を収めることができると悟ったのだ。

ニッキーはひとびとを安全地帯から押し出す方法を心得ている。コラボレーション楽曲が満載の本作は、これらの楽曲があるからこそ、ニッキーという多様なキャラクターを自在に操るアーティストの作品として成立しているといえる。ちょうど『My Everything』をリリースした頃の、いまだにディズニーとの結びつきが強いアリアナ・グランデ(Ariana Grande)とは、スローな「Get On Your Knees」で密かに忍び寄るような官能性を表現。「Feeling Myself」では、ニッキーのアップテンポなフローをビヨンセ(Beyoncé)の歌声が支え、ニッキーが〈世界を止めた〉ときのことを誇らしげに歌う。しかし、彼女のソロにこそ名曲はある。「エミネム(Eminem)は最初のアルバムで誰とコラボした?/カニエ(・ウェスト:Kanye West)に『あの子は問題だ』といわせたのは誰?」と彼女はメトロ・ブーミン(Metro Boomin)が提供した「Want Some More」で問いかける。「勝負に臨んで、コロンを出したのは誰?/リル・ウェイン(Lil Wayne)に500万稼がせたのは?」。ヒップホップ界の黒人女性に対するミソジニーは根強く、ニッキーは常に世間に向けて自身の実力を証明しなければならなかった。しかし、今の彼女にその必要はない。(Kristin Corry)

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sheer mag - need to feel your love

ロックンロールを救う方法は、ミックスに大胆で斬新な要素を取り入れることでも、ターンテーブルを買うためにギターを売ることでもない。最高のロックミュージックをつくることだ。そして本作のタイトルトラックの、ティナ・ハラデー(Tina Halladay)の歌詞を借りれば、最高のロックを求めるならSHEER MAGの『Need to Feel Your Love』こそがあなたに「必要なもの」だ。2017年、バンドは素晴らしいEP3枚に続いてファーストアルバムとなる本作をリリース。このパワフルな1stアルバムは、もしハラデーに身の程を思い知らせてほしいなら、くだらないジョークでも言ってみな、と唆しているかのよう。バンドの過去作はどれもアクセル全開の名曲ぞろいだが、本作には、ずっとバンドのエッジを支えてきたグルーヴ感が顕著に表れている。

THIN LIZZYがNYの伝説のディスコ〈Studio 54〉でライブをしたらこんな感じ、というようなディスコ色の強いパーティナンバー(「Need to Feel Your Love」「Pure Desir」)から、荒っぽい革命アンセム(「Meet Me in the Street」「Expect the Bayonet」)、さらにローファイなベッドルームポップ(「Until You Find the One」)まで、収録曲は実に多彩だ。リリックには、怠惰な暮らし、恋、奮起することが、それぞれ同じくらいの割合で登場する。もし世界があなた自身やあなたが大切にしている信念に反対しても、まずは身近なひとたちのことを心に留め、どうすれば彼らと力を合わせて新たな人生を切り開けるかを考えるべきだ。『Need to Feel Your Love』で、SHEER MAGは不断の団結力をとらえた。その団結力こそが、私たちの社会的、政治的状況を定義づけるのだ。(Drew Millard)

darkside - psychic

ニコラス・ジャー(Nicolas Jaar)とデイヴ・ハリントン(Dave Harrington)は、この10年でもっとも興味深く、刺激的なアーティストだ。このふたりによるプロジェクト、DARKSIDEのアルバムを聴ける時代に生まれた私たちは、なんと幸運なのだろう。『Psychic』は、彼らが得意とするミニマルなエレクトロニックサウンドとファンキーで奇妙なギターサウンドから逸脱しすぎることなく、彼らの可能性を広げた意欲作だ。複数のジャンルにまたがる本作は、エレクトロポップ、ジャズ、プログレッシブ・ロック、アンビエントの要素を取り入れ、それらを完璧に融合させている。聴くたびに新たな発見のある1枚だ。地下のパーティでも、その翌朝二日酔いに苦しめられているときでも、本作は自在に姿を変え、どんな気分にも寄り添ってくれる45分間のサウンドトラックになる。さらに、本作を代表するシングル「Paper Trails」は、数年後にリバイバルすることになるカウボーイカルチャーを完璧に予想していた。ふたりのレジェンドによる本作は、これまでも、そしてこれからも、時代を先取りした作品であり続けるだろう。(Trey Smith)

holly herndon - platform

ホリー・ハーンドン(Holly Herndon)にとって、音楽は常に大きなテーマを考察するための手段だった。彼女のデビューアルバム『Movement』では、マックス・マシューズ(Max Mathews)やローリー・シュピーゲル(Laurie Spiegel)のような、人間の声の限界に挑んできた音楽家の数十年に及ぶコンピューターミュージック研究を参照し、ダイナミックな音声にデジタル処理を施し、屈折させることで、どこか不気味で異質な雰囲気を生み出した。本作はそれだけで完結する作品ともいえるが、その後、ハーンドンはスタンフォード大学での博士課程の研究を通して、さまざまな作家、デザイナー、ヴィジュアルアーティスト、思想家とコラボレーションを重ねる。その結果、このセカンドアルバム『Platform』では、この協働の精神が大きな基盤となっている。

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彼女がマット・ドライハースト(Mat Dryhurst)、谷口暁彦、クレア・トラン(Claire Tolan)などのアーティストや、オランダのデザインスタジオ〈Metahaven〉と組んだ本作は、21世紀のコミュナリズムの見事な考察であり、現代の私たちがいかに生きるかをテーマとする楽曲を結集した1枚だ。Skype音声のサンプリング、音声のターゲティング広告、ASMRミュージック、米国家安全保障局への〈ラブレター〉など、彼らのヴィジョンはテン年代のテクノ・キャピタリズムをもっとも正確に暗示していた。本作は思索を深めつつも、根本的には耳障りの良いダンスミュージック・アルバムであり、数十年後に聴いても満足できるだろうトラックばかりだ。複雑なコンピューターミュージックにまつわる考察に対する情熱と同じくらい、私たちの感覚に強く訴えかけてくる本作は、この先もテン年代のクラブミュージックを代表する作品であり続けるだろう。(Rob Arcand)

total control - henge beat

オーストラリアのポストパンクバンドTOTAL CONTROLは、メルボルンの肥沃なパンクシーンを私たちに垣間見させてくれただけではなく、DICK DIVER、UV RACEのアル・モンフォール(Al Montfor)による新しい音楽の世界と、EDDY CURRENT SUPPRESSION RINGで一躍シーンで人気を博したマイキー・ヤング(Mikey Young)の新しい作品を聴ける、という期待をも届けてくれた。

彼らのデビューアルバムとなる『Henge Beat』は、QUEENS OF THE STONE AGEの『Songs for the Deaf』を彷彿とさせるようなミックステープ的スタイルでポストパンクにアプローチしており、バンドの幅広い音楽性や無限の可能性を多様なかたちで表現している。収録曲はSUICIDE、SWELL MAPS、JOY DIVISION、はたまたDEVOを思わせる全11曲。性急ながら無機質で飄々とした演奏と、瑕疵のないソングライティングの絶妙なバランスが楽しめ、空間を超然的なオーラで満たす。まさに、ピーク時のSISTERS OF MERCYのアンドリュー・エルドリッチ(Andrew Eldritch)が、上裸にレザージャケットを羽織って、落ちぶれたバンドのライブ会場の隅でウイスキーをちびちび飲んでいるような雰囲気だ。

シンプルなメロディでセンスが際立つ「The Hammer」に慄き、「Retiree」の完璧なガレージパンクに荒れ狂い、「Love Performance」のもやがかかったゴススタイルに身体を揺らす。『Henge Beat』は、多彩なサウンドを最高のクオリティで聴かせるエクササイズである。(Fred Pessaro)

gucci mane - ww3

会場に集まったインターネット中毒のラップオタクたちの正気を失わせたい、と思ったら、2010年代のグッチ・メイン(Gucci Mane)のミックステープを1本選んで、これがテン年代のグッチ・メインの最高傑作だ、と叫ぶだけで事足りる。そうすれば、どの作品がグッチ・メインの〈真の〉最高傑作か、という議論でその後2時間は盛り上がる。それを踏まえたうえで、ここでは『World War 3』3部作(Lean、Gas、Molly)をテン年代のグッチ・メインの代表作として選びたい。しかし、それを踏まえなくても『World War 3』3部作は傑作だ。いかんせん、本作のコラボレーターたちは全員が、グッチのクリエイティビティを最大限に高めてくれる人材なのだから。

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『Lean』はマイク・ウィル(Mike Will)、ゼイトーヴェン(Zaytoven)、Honorable C.N.O.T.E.がプロデュースを手がけ、おそらく3部作のなかでももっとも統一感があり、クオリティも随一だ(他2作のサウンドの質が、時折奇妙な箇所があるという意味で「統一感がある」と言っているのであり、リーン(※コデインシロップとソフトドリンクを混ぜて飲むドラッグ)についてのチョップド&スクリュードされたラブソングが収録されているという意味で「クオリティも随一」と言っているので悪しからず)。しかし、プロデューサーに808マフィア(808 Mafia)を迎えた『Gas』の「One Minute」や「Whippin」も最高。

メトロ・ブーミン(Metro Boomin)がビートを手がけた『Molly』は、メトロがヒット曲を量産し、テン年代を代表するプロデューサーとして認められるようになってきた頃にリリースされた(本作ではソニー・デジタル(Sonny Digital )とダン・ディール(Dun Deal)も参加)。グッチ・メインは自らがラップの才能を有していながら、他の才能の発掘にも長けている。『World War 3』でも、ヤング・サグ(Young Thug)、MIGOS、ピーウィー・ロングウェイ(Peewee Longway)など若きスターたちに舞台を与えており、特にピーウィーのヴァースは抜群だ。

テン年代のグッチを代表する1作、なんてないのかもしれないが、3作だとすればこれらで間違いない。(Drew Millard)

parquet courts - light up gold

かつてVICEのオフィスでMotherboardの記事を書いていたショーン・イートン(Sean Yeaton)はデスクを離れ、PARQUET COURTSのメンバーとして、頭が爆発しそうなくらい最高のデビューアルバム『Light Up Gold』をリリースした。本作については、ただの80年代の複雑なポストパンクバンドじゃないか、はたまたよくあるカレッジロックバンドじゃないか、という意見もあるだろうし、PARQUET COURTSは本作のあと『Human Performance』など彼ららしさをさらに突き詰めた作品も出しているのだが、それでもやはり、軍産複合体から街角の食料品店で買えるスナックの良さまで、様々なテーマについて歌う『Light Up Gold』の収録曲はすばらしい。

ショーンは現在、世界中のステージで演奏しながら、バンドメンバーたちと最高のアルバムを作り続けている。いっぽう、僕たちは相変わらずオフィスのPCに向かい、彼についての記事を書いている。ショーン、愛してるよ。僕たちはみんな、君みたいになりたいって思っているけど、なれないってこともわかってる。だって君は君だからね。(River Donaghey)

turnstile - nonstop feeling

EP『Step to Rhythm』をリリースした頃のTURNSTILEのライブレビューには、称賛どころか絶賛の言葉が並んでいた。批評家たちがこぞって、「ハードコアの未来」「14歳の自分に戻ったような気分にさせてくれるライブ」と手放しでその興奮を伝えてきたら、こちらが穿った見方をしてしまいたくなるのも仕方ないだろう。しかし、TURNSTILEに限っては、批評家の言葉は真実だった。

TRAPPED UNDER ICEとも近しいこのバンドは、間違いなくハードコアの傑作と肩を並べる作品をリリースしてきたが、肩を並べるというよりも、超越していると言ったほうが正しいかもしれない。『Nonstop Feeling』はTURNSTILEのデビューアルバムで、すべてのバンドがアルバム作りで苦心する〈ソングライティングの才能を見せつけながらライブのエネルギーもパッケージングすること〉をどうにか実現している。とはいえ、フロントマンのブレンダン・イェーツ(Brendan Yates)、ドラムのダニエル・ファン(Daniel Fang)、ベースのフリーキー・フランツ(Freaky Franz)をはじめとするメンバーたちのライブでの圧倒的な存在感、あるいは彼らの飛び蹴り、股割り、観客の完璧な掌握術を100%作品で再現することは事実上不可能だ。それでも、本作は90年代のオルタナ、ハードコア的な要素を加えながら、MADBALLからRAGE AGAINST THE MACHINEまで、様々なバンドに目配せしつつ、跳びはねたくなるような楽しくポジティブな雰囲気を生み出している。そう、本作は楽しく、とことんキャッチー。リアルな〈ノンストップ・フィーリング〉に沸き立たずにはいられない。(Fred Pessaro)

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kelela - take me apart

『Take Me Apart』がケレラ(Kelela)のデビューアルバムだという事実には、驚かずにはいられない。なぜなら、彼女の先進的かつエモーショナルな音楽を、ここ数年どころかずっと昔から耳にしていたような気がするからだ。2013年に発表されたミックステープ『Cut 4 Me』で、恋を歌うR&B的な電子音楽というジャンルにおける唯一無二の新星として注目されたケレラ。エチオピア系米国人の移民2世で、クィアである彼女は、EDM時代末期におけるダンスフロアミュージックを代表する声となった、とはいえないものの、音楽界、そしてファッション界のそこかしこで、インスパイア源となったり、コラボレーションに取り組んだり、と精力的に活動。そしてダンスフロアミュージックというジャンルを超えた、カルチャーのいちぶとなった。

キラキラ輝き、時に霞みがかった、瞑想的な『Take Me Apart』が発売されたのは2017年夏だが、その頃には彼女の音楽はすでに自信に満ちていた。驚くほどに白人主体のダンスミュージックメディアに、何年も〈(間違った)処理〉をされてきた彼女だが、デビューアルバムで、自分の思うがままに音楽を作ることができることを証明した。ケレラをカテゴライズするのは容易なことではないが、むしろそれが楽しくもある。彼女の2ndアルバムを、首を長くして待っていよう。(Tshepo Mokoena)

lcd soundsystem - this is happening

LCD SOUNDSYSTEMの3rdアルバム『This Is Happening』には、強烈なカタルシスの感覚が潜む。厳格さとは常に距離を置くジェームス・マーフィー(James Murphy)は、あらゆるアイデアを限界まで押し広げ、息をつく間もない、あるいは息をつく暇があったとしてもしたくない、そんなアルバムを完成させた。「Dance Yrself Clean」はじわじわと盛り上がり、シンセが一気に爆発。ベルリン時代のデヴィッド・ボウイに捧げた「All I Want」は、破綻した恋愛関係に捧げた悲しきレクイエムであり、クライマックスではマーフィーが「僕を家まで連れ帰ってくれ」と叫ぶ。まるで彼の内省が、耐え難いレベルまで達してしまったかのよう。

本作がLCD SOUNDSYSTEMの最高傑作に感じられるとしたら、それは意図されたものだ。もともと本作は、マディソン・スクエア・ガーデンでのキャリアの集大成たるラストライブと合わせて、LCD SOUNDSYSTEMというプロジェクトの最後のアルバムと銘打たれていた。LCDは2017年に再始動し、ファンを歓迎派と反対派に二分したものの、『This Is Happening』が傑作であることは疑いようもない。なぜなら本作は唯一無二であり、解散宣言とその撤回、というゴタゴタとは容易に切り離して考えられるからだ(たとえばジェイ・Zの『Black Album』なんかと比べれば)。

マーフィーは本作でも、彼がこれまでずっとやってきたことをやっている。自身が敬愛するアイドルたちからインスピレーションを得て、名声、愛、喪失について考察し、〈クール〉と〈クールじゃない〉ものの境界線を、区別不能なほどに曖昧にする。しかし本作ではそれを、これまで以上に大規模に、普遍的に、見事にやり遂げている。フィナーレを飾る「Home」で、彼はこう歌う。「周りを見て 君は囲まれている/これ以上良くはならない」。マーフィーは正しかった。この瞬間が続こうが続くまいが、それは大した問題ではないのだ。(Alex Swhear)

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100s - ice cold perm

バークレー出身のラッパー、コシスコ(Kossisko)は、2012年に現在のステージネームに改名するが、その前は〈100s〉という名義で活動していた。彼のスワッグなピンプラップは、同年代のラッパーたちの何歩も先を行っていた。「Slow Drip」や「Power」をはじめとする楽曲には、コシスコの生まれもったストーリーテリングの才能、卓越したラップスキル、マイクを持ったときの飄々とした空気が明らかだ。リピート再生必至の「Brick $ell Phone」のスカスカのサウンドは、聴き馴染みがあると同時に新鮮さも覚える。ベイエリアらしい特徴的なフローでプレイボーイライフを歌う彼の音楽は、レトロでありながら現代的なバイブスが流れ、すべてのラインを思わず夢中になって聴いてしまう。

彼はかつて、私たちの世代のシュガー・フリー(Suga Free: カリフォルニアのポモナ出身のアイコニックなラッパー)となることを期待されていたが、改めて振り返ってみると、シュガー・フリーになろうがなるまいが、賞賛に値する作品だ。(Trey Smith)

james blake - james blake

批評家も絶賛するダブステップの傑作EPや12インチシングルをインディレーベルからリリースしていたジェイムス・ブレイク(James Blake)は、2011年のデビューフルアルバム『James Blake』でダブステップというジャンルを定義づけたと言えるだろう。ファルセットを多用するソウルシンガーとしての彼の電子音楽へのアプローチには、ダブステップ原理主義者たちから不満が噴出したりもしたが(例:PORTISHEADのジェフ・バーロウ)、ブレイクは自らの圧倒的なソングライティングの才能で、見当違いな不満を述べるヘイターたちを黙らせた。

ブレイクの魅力はその声だけではない。たとえば彼の名を知らしめた、恋に悩む「The Wilhelm Scream」や、ファイスト(Feist)の「Limit To Your Love」の陰鬱なカバーなど、彼が言葉を発するだけで、そこには感情がたっぷりと吹きこまれる。

そして特筆すべきは彼の実験精神だ。彼がブレイクした理由もそこにある。何重にもループさせたボーカルに、ぎくしゃくとリズムを刻むパーカッションを重ねた「I Mind」。同じ手法ながら、オートチューンを取り入れてさらに印象的に仕上げた「Lindisfarne I」。彼のサウンドは、のちに、よりポップに寄っていくが、このデビューアルバムこそ、まさに画期的な作品だった。(Josh Terry)

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メタルというフィールドには、不惑を過ぎてスッカラカンになっているのに、それに気づかず燃え尽きた野郎どもがゴロゴロと転がっている。しかしマイク・シャイト(Mike Scheidt)は40歳を過ぎても衰え知らずで、彼が率いるオレゴン州ユージーン出身の伝説のメタル・トリオYOBも、勢いを保ち続けたまま活動している。YOB第2章は2009年の『The Great Cessation』からスタートしたが、新生YOBを象徴する作品といえば2011年の『Atma』だろう。本作でYOBは、シーンにおける絶対的な存在となった。シャイトは本作で、瞑想的でありながら、邪悪なほどにヘヴィな自らのスタイルを磨き上げている。

タイトルトラックの恍惚感すら感じる叫びも、「Before We Dreamed of Two」での勢いのある演奏も、オーディエンスを夢中でヘッドバンギングさせる力がある。「Prepare the Ground」はバンドの代表曲であり、メタル業界においても歴史に残る楽曲だ。YOBは岩のようにプレイしながらも、その〈岩〉はジェルのように柔軟。シャイトのボーカルパフォーマンスはさながら激烈な歌声に恐ろしい命令を飛ばす戦将オジー・オズボーンだ。

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メタルは、不信心者の祈りの一形態と化してこそ栄える。YOBはその真理に気づき、実行に移しているという意味で先進的である。YOBは愛であり、ヘヴィメタルは精神の戦争だ。それは互いに矛盾しない。『Atma』ではまさに、愛と戦いとが協力関係にあるさまが見て取れる。(Andy O'Connor)

pj harvey - let england shake

『Let England Shake』はPJハーヴェイ(PJ Harvey)の最高傑作ではないかもしれない。それどころか、ひとによっては、PJハーヴェイの作品のなかでも下位に沈むかもしれない。本作は、1990年代初頭のデビュー時の、ローファイグランジなサウンドとも、2000年代にリリースされた〈PJハーヴェイ印のポップス〉とも、似ても似つかない。しかし、本作を彼女の過去作品と比較するのはフェアじゃない。なぜなら本作を何かと比較すること自体が野暮だから。英国を代表するシンガー/ギタリストである彼女は、本作で2度目のマーキュリープライズを獲得し、本賞の歴史に残る快挙を果たした。

本作は、特にその歌詞表現においても、明らかな意外性に満ちていた。それまでの彼女の歌詞といえば、自身の生活や恋愛について見事に、そして詩的に描いていたが、本作では視線を外側へと旋回し、より広い視点で、戦争やトラウマを耐え忍ぶ人間の条件というものを考察している。「バトルシップ・ヒルの崩れ落ちた塹壕には/忌まわしい感情がいまだに漂っている」と歌う「On Battleship Hill」で、彼女は伸びやかなファルセットを披露し、「Bitter Branches」では荒々しいギターリフに乗せて吐き捨てるようにこう歌う。「一列に並ぶ兵士の足元で/そしてその下の湿った地面で絡まる」

本作は、PJハーヴェイのキャリアのなかでも唯一無二の作品だ。2009年、AOLのSpinnerで彼女は、「すごく満足してる。同じことを繰り返してないから」と語っていた。その口調は遠慮がちだったが、実際に彼女は、遠慮などする必要がないほどにすばらしい、テン年代を代表するアルバムを作ったのだ。(Daisy Jones)

stormzy - gang signs and prayer

Stormzy(ストームジー)の『Gang Signs & Prayer』が特筆すべき作品である理由はふたつある。まず、本作は、英国のヒットチャートで初登場1位を記録した、グライム史上もっとも売れたアルバムだ。次に、本作は宗教的なコンセプトを中心に据え、ストームジーの信念を一切ためらうことなく全面に出しながらも、ここまでの記録を叩き出している。収録曲のなかでもひときわ異彩を放つ、独立する2つの楽曲から成るトラック「Blinded By Your Grace」は、ストームジーの熱心な信仰心がいかに彼の音楽に浸透しているかをよく物語っている。しかし、彼の神への愛は決して陳腐なものではないし、彼の音楽を楽しむためにクリスチャンになる必要はない。感傷的で、涙なしには聴けないこのアルバムを享受するには、ハートさえあればいい。(Ryan Bassil)

justin bieber - journals

2013年はジャスティン・ビーバー(Justin Bieber)にとって苦難の1年だった。4月、彼はアンネ・フランク(Anne Frank)は「きっと〈ビリーバー(Belieber:ジャスティンファンの総称)〉になっていたはず」とアンネの家のゲストブックに書きこんだことで非難を浴びた。さらに、スタッズだらけのふざけたパンツ姿でモップバケツに放尿し、「俺たちがワイルドキッズだ!」「くたばれビル・クリントン!」と叫び、元大統領の写真に洗浄液を噴射する映像が流出(彼はその後謝罪している)。YouTubeで才能を見出されてから、世界的なポップスターの座へと上り詰めるまでの道のりは試練と苦難の連続で、彼は衆目にさらされるなかでしばらく暗黒時代に耐えることになる。

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しかし、この受難の日々から生まれたのが、2014年のアルバム『Journals』。ヒルソング教会の洗礼を受ける前の、ベビーフェイスのカナダ人シンガーが真の実力を発揮した作品だ。このアルバムによって、ひとびとはようやく彼というアーティストを真剣に受け止め、批評家たちは、彼には過去のヒットソング「Baby」や「Boyfriend」のようなバブルガム・ポップを超える可能性を秘めていることに気付かされた。このアルバムを通して、彼は自らの表現の幅、そして自分は最初からずっと正真正銘のR&Bを作ってきたのだということを証明したのだ。

本作は私的で、とんでもなくセクシーで、正直で、表向きは彼の謝罪ともいわれている(当時世間を騒然とさせたビーバーとセレーナ・ゴメス(Selena Gomez)の破局がテーマになっている、といううわさもある)。15曲のなかで、ビーバーは実験的な音楽を創り出す産みの苦しみに満ちた、プライベートな〈日記〉の内容を共有し、これまでのどの楽曲よりも率直に心の裡を吐露している。「Recovery」や「Confident」のようなトラックこそが、ビーバーの成長の証だ。自らの感情に向き合いながらも、「All That Matters」では、彼が10代前半の少女たちのアイドルから脱しようとしていることを明示している。アンネ・フランクの思いは知る由もないが、『Journals』が私たちの多くをビリーバーに変えた作品であることは間違いない。(Dessie Jackson)

dean blunt - the redeemer

2016年のツアー中、ディーン・ブラント(Dean Blunt)は、濃いスモークのなかにしか姿を現さなかった。そもそもそこに誰かいるのかどうかもわからなかったほどだ。1メートル以内に近づかなければ、シルエットを見分けることはできなかった。彼はその理由を自分ひとりになり、「そこにいる誰の存在も感じる」ことがないようにするためだった、と音楽メディア〈npr〉に説明しているが、このスモークにはオーディエンスを引き込む効果もあった。彼らがブラントをひと目見るには、身を乗り出さなければならなかったからだ。

ブラントの2013年のアルバム『The Redeemer』も、そんな奇抜なアイデアの上に成り立っている。寂しげなボイスメールや悲しみに沈んだバラードなど、建前としては別れをテーマにした作品だが、曖昧で断片的だ。本作で語られる物語(あるとすればの話だが)を解き明かすのは難しい。誰が誰と別れたのか? 傷ついているのは誰なのか? 濃い霧から現れる、1980年代のポップスの名曲の断片的なサンプル、目が回りそうなストリングス、感傷的なホルン、ボソボソと歌われる悲痛な歌詞。じっと目を凝らせば少しはディテールを掴めるかもしれないが、本作はあえてリスナーを混乱させるようにつくられている。自らの創作という霧のなかでさまよう。それこそが別れというものだ。(Colin Joyce)

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残念ながら、31歳でミュージシャンとしてブレイクすると、〈遅咲き〉とみなされる。しかし、世の中にはキング・クルール(King Krule)やビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)など、大人が恥ずかしくなるような神童もいるいっぽう、私たちのようなありふれた人間だっている。ジョン・マウス(John Maus)が『We Must Become the Pitiless Censors of Ourselves』をリリースしたとき、彼は完璧なポップソングを追求する、どこにでもいるようなハワイ大学の神経質な哲学講師だった。たしかに、この背景も彼の神秘さを増すのに一役買っている。しかし、彼はTHE SHAGGS的な素人の作品ではなく、立派な作品を発表した。

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本作は、いわば高校の英語教師が10年間ぶっ通しでTHE MAGNETIC FIELDSを聴き、大量のLSDを摂取し、神に会い、現実に戻ってきて作ったようなアルバムだ。「Pitiless Censors」のメロディは非常にクラシックで、キャッチーですらあるが、アレンジはお化け屋敷で鳴り響くオルガンのように奇妙で薄気味悪い。最初のトラック「Streetligh」は、1980年代のゲーム音楽に、洞窟に響く幽霊の叫びが加わったよう。おそらく彼の楽曲のなかでもいちばん有名な「Hey Moon」は、赤ちゃん、エイリアン、もしくはあなたのためのシンセポップの子守唄だ。「Cop Killer」は、楽曲に通底する冷静な信念がなければ、そしてもっと気取った雰囲気があれば、白人特権階級の不快なジョークのように感じられただろう。マウスの楽曲はダークで、ローファイで、不安定だが、それでいて紛れもなくポップなのだ。(Hilary Pollack)

vibras - j balvin

テン年代はレゲトンとラテントラップのファンにとって心踊る10年だった。コロンビア出身のレゲトンシンガー、J・バルヴィン(J Balvin)はスペイン語楽曲制作の確かな手腕をもとに、メインストリームへと躍り出たこのジャンルの最前線に立った。テン年代前半には、「Ginza」や「Ay Vamos」などのヒットを飛ばしていたバルヴィンだが、後半には「Mi Gente」にビヨンセを迎えたり、カーディ・Bの「I Like It」に参加するなど、コラボレーションが急増。そんな彼が2018年にリリースした、ヘヴィなビートのヒップホップ、デンボウ、レゲトン、ウルバーノ(ラテンアーバン)、生々しい性表現が融合した『Vibras』は、彼が自身のキャリアを次の段階に進めるために必要な作品だった。カーラ・モリソン(Carla Morrison)、Wisin & Yandel、ウィリー・ウィリアム(Willy William)、Zion & Lennox、批評家から絶賛されつつ賛否を呼んでいるロザリア(Rosalía)を迎えた本作は、バルヴィンがひとつのジャンルやスタイルに縛られないアーティストであることを証明した。ウルバーノ、レゲトン、ラテントラップの人気が拡大するなか、彼は今も第一線でこのジャンルの限界を押し広げ続けている。(Alex Zaragoza)

lorde - melodrama

ロード(Lorde)は、脳が音を視覚情報として捉える〈共感覚〉の体験について、これまでに何度も語ってきた。彼女の2ndアルバム『Melodrama』は、このコンセプトを色鮮やかに再現している。ナイトクラブのネオンを思わせる「Green Light」に始まり、柔らかなピンク(「The Louvre」と「Loveless/Hard Feelings」)、そしてブルー(「Writer in the Dark」)へと変化していき、「Supercut」と「Perfect Places」のくるくると回る万華鏡で幕を閉じる。

本作を通して、リスナーは、恋愛が始まったときの解放感から、(たとえ終わりを迎えたとしても)過ぎ去ったことへの感謝まで、ひとつの関係が破綻するまでを追体験する。ロードは実体験から得た感情のカラーパレットで本作を彩り、針で刺すような正確な歌詞で、関係の機微とその崩壊を描き出す(「彼女はあなたがビーチが好きだって思ってるみたいだけど/あなたってとんだ嘘つきね」「あなたが句読点を使いまくるのが気になってしかたない」)。ロードは本作で自らの痛みと解放を表現する言葉、音、色を探求している。テン年代の別れを描くアルバムのなかでも最高傑作といえるだろう。(Lauren O'Neill)

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リル・ピープ(Lil Peep)にとって初のフルレングスアルバムであり、彼の生前に完成した唯一の作品でもある『Come Over When You're Sober, Pt. 1』は、自らのルーツを失わず、同時にそれに囚われすぎずに成長することの難しさを描く。リル・ピープは生活のすべてがインターネットによって形作られる若者世代のアイコンだった。ピープがパイオニアとなり、本作が定義づけた、いわゆる〈エモラップ〉というジャンルは、幼い頃からネットとともに育ち、音楽ファイル交換ソフトウェア〈Kazaa〉で新曲をクリックし、〈LiveJournal〉に思いを吐露してきた世代の絶頂期を表しているといえる。

ピープのそれまでの楽曲は、明らかにBRAND NEWやUNDEROATHなどのサードウェーブのエモバンドのサンプリングに頼るところが大きかったが、『Come Over When You're Sober, Pt. 1』ではサンプリングは控えめになり、テン年代初頭のポップパンク、エモ、メタルコアからの影響と、トラップビートやテン年代における虚無的な不安を巧みに結びつけ、鬱屈とした「Benz Truck」や意外なほど陽気な「Better Off (Dying)」などのトラックに落とし込んでいる。彼の作品の根底にノスタルジーがあるのは確かだが、決して過去に囚われてはいない。(Bettina Makalintal)

Burna Boy - African Giant

テン年代は、ナイジェリア出身のアーティスト、バーナ・ボーイ(Burna Boy)にとって非常に多忙な10年であり、アフリカの音楽シーンがいかに広大で、パワフルで、未来的になったのかを世界に知らしめた。『African Giant』は、バーナ・ボーイの到来を高らかに告げるとともに、彼はすでに故郷での暮らしより遥かにビッグな〈巨人〉であることを、新たなリスナーに証明した。彼が自ら切り拓いてきた道は、クロスオーバーでの成功を狙い、ドレイク(Drake)やスウェイ・リー(Swae Lee)とともに夏の大ヒットソングを制作したウィズキッド(Wizkid)などのポップ寄りのナイジェリア人アーティストとは、一線を画している。『African Giant』のアフロフュージョン・サウンドは、アフリカ系アーティストがヨーロッパ中心の基準を満たすためにエッジを失わずとも、アフロビート、アフリカのスラングや言語をフルに活用した普遍的なアンセムをつくれる、ということを明示した。ダンスフロアを思い切り沸かせる「Killin Dem」も、愛する誰かを抱きしめたくなるスローな「On the Low」も、彼の音楽からはひしひしと彼の感情が伝わってくる。(Taylor Hosking)

lana del rey - norman fucking rockwell

2012年の『Born to Die』で、ラナ・デル・レイ(Lana Del Rey)は、「私たち女の子の狂気が好き」か、と問いかけている。答えはもちろんイエスだ。その年の終わりにリリースしたシングル「Ride」では、彼女は「自分がおかしいと感じることに疲れた」と歌った。それから7年が過ぎ、4枚のアルバムを経たあとも、彼女が自分が誤解されていると思っているのかどうかはわからないままだった。その後リリースされたのが、ラナ史上もっともリッチでカタルシス効果の大きい、6枚目のアルバム『Norman Fucking Rockwell』だ。本作では、漠然とした不安、誤った判断、最悪な男たち、最高のセックスを歌いながらも、彼女はそれらによって自分が弱くなったわけではないということを自覚している。むしろそれらによって、彼女は強さを身につけ、フォーク界のヒーローとしての地位を確固たるものにしたのだ。

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タイトルトラックで、彼女はセックスのテクニックを自慢する、鼻持ちならない自意識過剰な詩人という偽りの自分を描き出す。その気だるい歌声は、まるで彼女がハンモックに寝転び、ブドウを口に運んでもらっているような姿を彷彿させる。いっぽう、本作でもっともパワフルな「Mariners Apartment Complex」では、レナード・コーエンが乗り移ったかのような歌唱で、今の彼女を形づくる「暗さ、深さ」について弁解することを、きっぱり拒否している。「私はあなたの男」と彼女は満足げに歌う。ラナが「Ride」で歌っていたような「ずっと一緒のダディ」は、もう今の彼女には必要ない。歌手/女優のシェール(Cher)はかつて、私は金持ちの男と結婚しなくたっていい、私自身が〈金持ちの男〉なんだから、と語った。彼女のように、ラナも気づいたのだろう。首にタトゥーを入れたろくでなしの男たちに求めた安心感は、ずっと自分自身の奥深くに存在していたのだ、と。(Hilary Pollack)

the-dream - love king

「君がどんな扱いを受けてるかは知らない/普段君がいる場所ではね/でも俺が言いたいのは 君が俺を知ってるはずだってこと」。これがザ・ドリーム(The-Dream 本名はテリウス・ナッシュ(Terius Nash))の「Love King」の歌い出しだ。彼の名前を知らなくても、あなたの大好きなシンガーにとって、彼は憧れのソングライターかもしれない。彼が2010年に3枚目のアルバムをリリースする頃には、たとえ自覚がなかったとしても、どこかで彼の曲を聴いているに違いない。なぜなら、彼はビヨンセの「Single Ladies」、リアーナ(Rihanna)の「Umbrella」など、今世紀のポップスを代表する大ヒット曲を手がけてきたからだ(ザ・ドリームは、ブリトニー・スピアーズが傘でパパラッチに襲いかかった有名な事件をもとに、彼女をイメージしてこの曲を書いた、と繰り返し語っているので、「Umbrella」はブリトニーの曲だ、ということもできる)。

ヒットチャートで上位にランクインしたのは、ザ・ドリームが他のアーティストに提供した楽曲かもしれないが、彼の最高傑作は彼自身のものだ。『Love King』は、この10年で、R&Bを取り入れたポップスを定番化させる基盤を築いた。彼は、ピアノの旋律を活用したキャッチーな楽曲で、リスナーを酔わせるコツを心得ている。彼がある女性に「もういちど恋をさせてほしい」と請う「F.I.L.A」は、最初の一小節で私たちの心を鷲掴みにする。しかし彼は、甘く囁いたかと思えば、次の瞬間には「君とバックでヤったら最高だろうな」などと言ってのける。

細部にまでこだわり抜かれた本作は、稀有な才能に恵まれたストーリテラーの傑作であり、日常にまつわる印象的な言い回し、鮮烈なイメージ、メタファーに満ちている。「Sex Intelligent Remix」で、彼は「CDのクレジットみたいに 俺は君を支配する」と宣言し、「Yamaha」では、彼がバイクを見るたびに思い出すかつての恋人について歌い、今も背中に彼女の名前のタトゥーが残っていることを打ち明ける。本作に収録されている全17曲は、もちろん単体でも充分聴き応えがあるが、全体をひとつの作品として楽しむことをお勧めする。特に「Sex Intelligent」から「Abyss」までの5曲は、ぜひ通して聴いてみてほしい。ザ・ドリームの影響力は計り知れないが、彼が革新的なR&Bによって真の〈ラジオ・キラー〉になったからこそ、タイ・ダラー・サイン(Ty Dolla $ign)、ザ・ウィークエンド(The Weeknd)、ミゲル(Miguel)などのアーティストは、名声を得ることができたのだ。(Leslie Horn)

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sophie - oil of every pearl's un-insides

この5年、A・G・クック(A.G. Cook)の主宰するレーベル〈PC Music〉に所属するアーティストたちは、自らのサウンドを新奇な、クセの強い方向性へと押し進めてきた。彼らのサウンドには全体的な統一感はない。むしろ、自己流の学生たちが集まる学校のようだ(そして当然ながら彼らはいつか、その学校から卒業していく)。

ソフィー(Sophie)は自らの楽曲をPC Musicからリリースしたことはないが、躍動的な初期シングルやA・G・クックとGFOTYのコラボ楽曲で、ポップな〈バブルガム・ベース〉の第一人者として名を成した。しかし、2018年にリリースされたファーストアルバム『Oil of Every Pearl's Un-Insides』では、グラスゴー出身のアーティスト/プロデューサー/DJとして、過去の自分を流し切り、新しい自分のなかへと自然に踏み出すような印象を与えた。彼女は本作で電子音楽の定義を拡張し、リスナーに新たな音楽体験を提示したのだ。

本作はまさに、音楽づくりの上級クラス。冷たく強烈なビートに、いわゆるラテックスポップ的なシンセライン、そして心に沁みるヴォーカルのサンプリング。何より、彼女は曲にリアルな感情を注ぎこんでいる。その結果本作は、テクノロジカルな、あるいはオーガニックな実験音楽とポップスをただ混淆した作品とは一線を画す。このアルバムを聴いていると、同じ看板を掲げていても、そこには様々な表情があること、そしてそれらは常に、互いに影響し合っていることを知る。(Daisy Jones)

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『Piñata』は、インディアナ州ゲイリー出身のギャングスタラッパー、フレディ・ギブス(Freddie Gibbs)と、カリフォルニア州オークランド出身のプロデューサー、マッドリブ(Madlib)の初となるコラボアルバム。奇妙で不穏で、非凡なテクニックを駆使した作品だ。これを機に改めて聴き直したが、あまりに最高で、正直なところレビューなど書いていられない。(Drew Millard)

bon iver - bon iver

BON IVERの2ndアルバム『Bon Iver』は、デビューアルバムの『For Emma, Forever Ago』とは正反対だ。『For Emma, Forever Ago』はアコースティックギターとソウルフルな叫びで失恋の痛手を歌ったパーソナルで内省的な作品だったが、『Bon Iver』の世界観はより豊かで広大。ジャスティン・ヴァーノン(Justin Vernon)のソングライティングも、小屋にこもって孤独に作るのではなく、ホーンや木管楽器のセクションを取り入れたフルアンサンブルとなった。

ただ、視野がより広くなったとはいえ、それでもやはり、歌詞は主観的であり、明確な解釈が与えられるわけではない。各楽曲がそれぞれ別の場所について歌っており、その場の様子は、観察や記憶を通して描写される。ヴァーノンは大きな感情を少ない言葉で語るタイプの作詞家だが、本作では自らのヴィジョンを哲学的ともいうべき明晰な言葉で表現している。たとえば「Holocene」の「そしてすぐに 僕は自分の小ささを知った」という歌詞には、具体的な意味があるわけではないが、普遍的に共鳴する何かがある。本作ジャケットに使用された、牧歌的な風景を際限なく描いた水彩画のように、本作で感じ取れる物事の意味は、自然のなかで悟ることのできるそれと同じだ。

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チャンバーポップの「Perth」から、ボニー・レイット(Bonnie Raitt)的なバラードソング「Beth/Rest」まで、本作は、あらゆる物事について歌った完璧な作品といえよう。(Emma Garland)

sturgill simpson - metamodern sounds in country music

テン年代は、過去を参照しながらカントリーミュージックというジャンルを前進させるようなアーティストが多数輩出された時代だった。彼らはラジオで売れるような音楽づくりに反旗を翻し、〈気骨〉や〈カントリーミュージックらしさ〉を意識している。ジェイソン・イズベル(Jason Isbell)やクリス・ステープルトン(Chris Stapleton)をはじめとする、原点回帰主義的なトレンドを率いるミュージシャンのなかでも、もっともラディカルな人物といえば、スタージル・シンプソン(Sturgill Simpson)だろう。彼がクラシックなカントリーサウンドを現代の文脈に落とし込んだのが、2014年の『Metamodern Sounds in Country Music』だ。タイトルからしてすでに、レイ・チャールズが1962年にリリースし、ジャンルや人種の差を壊すこととなったアルバム『Modern Sounds in Country & Western Music』のオマージュであることは明らかで、シンプソンがカントリーミュージックの〈公式〉をひっくり返すために、いかに大胆な挑戦を続けているかを示している。

アルバム1曲目の「Turtles All the Way Down」ではDMT(ジメチルトリプタミン:幻覚剤の一種)、LSD、ブッダ、キリストについて言及。アルバムを通して、探求者としての彼の姿が立ち現れるが、その性急さは決して嫌な感じや、自惚れた印象を与えない。

アルバム収録曲にはタイムレスな魅力があり、特にWHEN IN ROMEの「The Promise」のカバーには驚かされる。もともとニューウェーブのヒットソングだが、ウェイロン・ジェニングス(Waylon Jennings)の楽曲だったかな、と思ってしまうほどのザ・カントリーなアレンジだ。「君が迷ったとき あるいは危険なとき/周りを見てほしい 僕がいるから」。彼がこう歌うとき、彼はわかっているのだ。自分の存在についての疑問への唯一の答えが、愛というシンプルなものだったりする、ということを。(Josh Terry)

kamasi washington - the epic

コンプトン出身のラッパー、ケンドリック・ラマーの『To Pimp A Butterfly』に収録された「u」でのスモーキーなサウンドで、ひときわ存在感を放っているのがフェードインやアウトを繰り返すテナーサックスだ。息をたっぷり含み、苛立ちをたたえたケンドリックの声にまとわりつくようなサックスの音。短い時間ながら、独特のテクスチャーを残すそのサックスこそ、カマシ・ワシントン(Kamasi Washington)の手によるものであり、おそらく何百万人のリスナーは、この曲で知らぬ間にカマシと出会っているはずだ。そしてカマシは、『To Pimp A Butterfly』のリリースから2ヶ月も経たぬ間に、彼自身の実質的なデビュー作となる『The Epic』を発表。本作はまさにタイトルの通り、〈壮大な叙事詩〉である。

3枚組、約3時間に及ぶ本作は、まさにジャズの粋を広く深く集めたような作品。SUICIDAL TENDENCIESの元メンバーふたりを含むドリームバンドにより演奏される彼の曲はそれぞれ長尺で、地球に生きる人間の才気と宇宙的ヴィジョンが合わさり、宗教とはまた違う、スピリチュアルな音楽体験を提供してくれる。

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天国への扉を開けば、1曲目の「Askim」で光とともにサンダーキャット(Thundercat)のベースソロが流れ込んでくる。コーラスが多幸感をもたらしたかと思えば、ナイトクラブでキャンドルの光を囲んで過ごす親密な時間へと移り変わる。カマシのサックスは、星空へと続く階段をひとつひとつ組み上げていくよう。スタンダードナンバーの「Cherokee」も、彼のアンサンブルにかかれば驚きの仕上がりだ。パトリス・クイン(Patrice Quinn)の歌声は迷いのないグルーヴとキーボードのストロークに支えられ、高められている。(Gary Suarez)

japandroids - celebration rock

バンクーバー出身の二人組バンド、JAPANDROIDSの2ndアルバム『Celebration Rock/セレブレーション・ロック』は、増えていく借金に頭をかかえるクラフトビール好きのための『Pyromania/炎のターゲット』といったところだ。ラウドで喜びに満ちたこのアルバムで彼らは、いわゆる〈Shit-fi(クソみたいな音質)〉ノイズ・パンクの扉を開け放ち、拳を掲げたくなる〈テン年代のアリーナロック決定版〉を提示した。「Fire's Highway」や「Evil's Sway」など、快楽主義を歌った疾走感のある頌歌では、激しく歪むギターを光る剣のように振り回し、それによりシンガー/ギタリストのブライアン・キング(Brain King)の書く歌詞のヤケクソ感は、決死の反抗として新たな輝きをまとう。「The House That Heaven Built」はカナダのアイスホッケーチームの入場曲として選ばれた(さすがカナダのバンド!)ほどに興奮を高める曲だが、同時にダークで、あてのないひとびとが集う、夢か現か判然としないハウスパーティでの幻覚を描いている。彼らは、自分の存在を確かめるために空に向かって叫ぶことしかできない。

ビールまみれで、ポール・ウェスターバーグ的な〈何もかもクソ〉的な生の歓びに満ちている本作は、テン年代に人気を博したPUPやBEACH SLANGをはじめとするオルタナハードロックバンドの礎となった。JAPANDROIDSはここ3年以上表立った活動をしていないが、根源的といえるパワーを有する本作の影響力はいまだに根強い。(Phil Witmer)

grouper - ruins

GROUPERの『Ruins』は、家だ。人生の不協和音や混沌からの、廃墟と化した逃避場所。聴く者の思考に存在する息抜きの場。魂と切っても切り離せない空間──。

リズ・ハリス(Liz Harris)の音楽は圧倒的に美しく、アレンジにも非の打ち所がない。自然のサウンドや、VHSの砂嵐のようなかすかな音など、すべての音に意味がある。本作の収録曲は、デモでもなければ未完成でもない。すべての楽曲が完璧に仕上げられており、ハリスのヴィジョンに必須ではないものは、ひとつ残らず削ぎ落とされている。沁み入るようなピアノが印象的な「Clearing」で彼女は、自らの声をピアノという楽器の温かみへと溶け合わせようとするかのように弾き語る。「Lighthouse」でも同様だ。むしろこのアルバム全体が、ピアノと声との一体化を目指しているよう。

リズ・ハリスは時代を代表する天才であり、本作は彼女の見事なディスコグラフィにおいても核となる作品だ。彼女は本作において、数少ないツールだけで、いつまでも離れがたい〈家〉をつくれることを証明した。(Will Schube)

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tyler the creator - flower boy

Odd Futureのリーダー、タイラー・ザ・クリエイター(Tyler, The Creator)は、『Flower Boy』で文字通り、左寄りへと立ち位置を移した。前作までは自身の個性的な低いヴォーカルにフォーカスしていたが(今年公開された、人気DJゼイン・ロウ(Zane Lowe)によるインタビューで「これまでの楽曲の65〜70%はクールだけど、30%は「おい、タイラー、お前マジ黙ってろよ!」って思う」と発言していた)、4枚目となる本作では自らの声ではなく多彩なコラボレーターが主役となり、作品をカラフルに彩っている。本作に参加したのは、レックス・オレンジ・カウンティ(Rex Orange County)、エステル(Estelle)、リル・ウェイン(Lil Wayne)、カニエ・ウェスト、カリ・ウチス(Kali Uchis)をはじめとする、数々のビッグネーム。彼らはみんな、力強くタイラーを導き、アルバムのフックを引っ張っている。本作は、5枚目の『Igor』と比較すると、『Flower Boy』というタイトルが示唆するように、よりキュートでクリーン。挑発的でも恐がらせるような作品でもない。私たちはただ口を開けてその美しさに驚嘆すればいいだけだ。(Ryan Bassil)

carcass - surgical steel

『Surgical Steel』で、CARCASSは不可能を成し遂げた。ゴアグラインドをはじめとする数々のジャンルに強い影響を与えた5枚のアルバムを発表し解散。その12年後に再始動し、新録アルバムとして17年ぶりとなる『Surgical Steel』をリリース。ファーストアルバムから約30年経っていたが、本作は彼らのキャリアにおいても最高傑作といえるだろう。CARCASSはジャンルを超越する作品をつくり、メインストリームの注目も集めつつ、だからといって彼らのパンク精神を犠牲にすることも、コアなファンたちを失うこともなかった。

『Surgical Steel』は、CARCASS第1章の終盤にリリースされた、もっとも「ラジオ受けがいい」とされる『Heartwork/ハートワーク』に比べても、過去作を参照しつつ、確かにメロディ性と演奏のレベルが上がっている。とっつきやすさは彼らの作品のなかでも随一であり、それでいて実に新鮮で現代的。しかも初期衝動を失ってもいない。本作は、すべてのスーパーバンド、再ブレイクを果たしたバンド、再結成に至ったバンドがお手本にすべき作品だ。いかに墓場から這い出るか、そしていかにバンドらしい作品をつくればいいのかを教えてくれる。(Fred Pessaro)

jamie xx - in colour

2015年のアルバム『In Colour』は、ホームシックの期間につくりあげた作品だ、とTHE XXのメンバーで、ジェイミーXX(Jamie XX)ことジェイミー・スミス(Jamie Smith)は『The FADER』のインタビューで述べている。「このアルバムでサンプリングされてる会話の断片の多くは、ツアーで海外にいるときに観てた英国らしい映像作品から抽出した。家が恋しかったんだ。…自分が何かを失っていくような気がした。僕が不在にしているあいだに、ロンドンが消えてなくなった、みたいな」。その言葉のとおり、ロンドン・アンダーグラウンドのユースカルチャーを集めた詰め合わせのような、ノスタルジックな雰囲気が漂っている(当時のジェイミーはそれらのカルチャーを体験するには若すぎたはずだが)。ドラマ『Top Boy』、マーク・レッキー(Mark Leckey)の『Fiorucci Made Me Hardcore』、ジャングル・レイヴ、海賊ラジオ、ダブステップ・サウンド…。今はなき伝説のクラブ〈Plastic People〉に通っていた十代のジェイミーが愛したものたちだ。

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2019年に『In Colour』を聴くと、本作でジェントリフィケーション(街の高級化)への悲しみが歌われていることが皮肉に思える。本作はテン年代後半、様々な場所で耳にした。跳ねるようなブレイクビーツや、失恋した主人公のダンスフロアでの憂鬱が、カフェやおしゃれなお店、WeWorks、Appleの広告、それ以外にも、都会に暮らすクリエイティブな仕事に携わるひとびとが集うであろうあらゆる場所のサウンドトラックとなっていた。それでもやはり、本作はもっとも感動的な、そしてもっとも緻密に構成された、ミレニアル世代によるエレクトロアルバムであることは確かだ。都会の単調な日々のルーティンを、本作の〈ビッグ・ムード(big mood:「今の気分」を示すネットスラング)〉が包み込む。今の時代よりも、昔はもっとエキサイティングだったよね、という気分が。(Emilie Friedlander)

ozuna - odisea

普段読んでいる音楽メディアによっては知らないひともいるだろうが、オズナ(Ozuna)は世界随一のアーティストだ。このランキングに入っている他の作品でも、彼の世界における輝かしい実績と名声と張り合えるものはほとんどない。彼は、あなたのお気に入りのアーティストが尻込みするか思わず赤面してしまうような数字を叩き出している。滑らかなハイトーンボイスが冴え渡る彼の2017年のアルバム『Odisea』は、ラテンポップの最先端としての〈ウルバーノ(ラテンアーバン)〉の商業的成功を完璧に捉えている。彼は反復ビートが特徴的な「Bebé」や「Se Preparó」などのレゲトンにR&B的な洗練されたレイヤーを加え、「El Farsante」や「c」では、ラテントラップの荒削りなエッジを削ぎ落としている。米国のヒットチャートでは、本作は1年近くスペイン語アルバムランキングのトップを独占していた。リリースから2年経った今も、毎週トップ10入りをキープし続けている。DJ Snake、カーディ・B、セレーナ・ゴメスとのコラボ曲「Taki Taki」以前のオズナを知らないひとにとって、履修必須の1枚だ。(Gary Suarez)

anohni hopelessness

アノーニ(ANOHNI)の『Hopelessness』は、テン年代を代表する〈怒りの記録〉だ。彼女の堂々とした歌唱やハドソン・モホーク(Hudson Mohawke)の繊細ながら大胆な表現力、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(Oneohtrix Point Never)のプロデュースに騙されて、そのことを見落としてはいけない。全11曲の収録曲を通して、彼女はこの世界の現状を伝え、それに深く失望し、地球と人間を破壊し尽くそうとする邪悪な力を激しく非難する。監視国家、気候変動、米国の外交政策、現代の戦争による壊滅的な被害、それら全てが彼女を激怒させる。「4 Degrees」では、美しい歌声とは裏腹に、環境破壊の来るべき惨状を訴える歌詞には、彼女の繊細な鋭さが現れている。「空を燃やしたい 風を燃やしたい/動物が森で死ぬのを見たい」。2016年5月にリリースされた本作は、ある意味未来を示唆していたのかもしれない。この世界では、今も怒りの種が増えるいっぽうだ。(Colin Joyce)

frank ocean - channel orange

2012年、フランク・オーシャン(Frank Ocean)のデビューは、メインストリームにおけるクィア表現にとって大きな転換点となった。ニューオリンズ出身の彼がアルバム『Channel Orange』リリースの数日前に、バイセクシュアルであることをTumblrでカミングアウトすると、瞬く間に大きな話題となったが、私たちの話題はすぐに、〈『Channel Orange』の変幻自在なR&Bがいかに素晴らしいか〉ということに移ることになる。彼の音楽は、悩ましく退廃的だ。リアリティ番組『ザ・ヒルズ』を観て育った多くのミレニアム世代と同様、彼は自らが〈スーパーリッチキッズ〉と呼ぶ特権階級の若者を当然のように見下しつつ、彼らに抗えない魅力も感じている。だからこそ、本作にも「メイドがしょっちゅうやってくる」、「両親があまり家にいない」豪邸への鋭い観察眼がみてとれるが、同時に彼のソングライティングは非常にパーソナルでもある。「Forrest Gump」で彼がベタ褒めしている、「すごくマッチョで力強い」が「絶対にカブトムシを傷つけない」片想い相手の青年は、2018年の〈#20GayTeen〉(eighteenにgay teenをかけて〈2018年は同性愛者の年〉というメッセージを発信したハッシュタグ)ムーブメントに比べれば、大して勇敢には思えないかもしれない。しかし、それでもこの曲は信じられないほど優しく、本作のほとんどの楽曲と同様、唯一無二で卓越した作品だ。(Nick Levine)

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aphex twin - syro

テン年代のエレクトリックミュージック・シーンをもっとも盛り上げたのは、エイフェックス・ツイン(Aphex Twin 本名:リチャード・D・ジェームス)の復活だろう。このインテリジェント・ダンス・ミュージックのトリックスターは、フェス会場を回りながら新曲を一部だけ公開したり、ライブパフォーマンスで実験を行なったり、匿名でSoundCloudアカウントを立ち上げたり、さらにファンたちは〈失われた〉アルバムのためにKickstarterでクラウドファンディングを募った。
しかし、彼にとって最大の節目となったのは、13年ぶりにリリースした『Syro』だ。2014年にリリースされた本作が重要な理由は、単にファンたちが待ち侘びたアルバムだからではない。全12曲のトラックには非の打ち所がなく、聴き馴染みがありつつも、彼の過去の楽曲とはまったく違う。いうなれば、彼の1996年の『Richard D. James Album』の遊び心たっぷりなメロディと、それとは対照的な2001年の『Drukqs』の不気味な不協和音が融合したよう。AFX(※エイフェックスの別名義)ファンなら、本作の飛び跳ねるようなビートに、AFXらしいアシッドハウス寄りのスタイルが加わっていることに気づいただろう。
それでも、本作でひときわ印象的なのは、激しいドラムマシンと微かなシンセラインのなかで響くエイフェックスのまっすぐな歌声だ。彼の楽曲にしては珍しく、温もりや生活感すら漂っている。『Syro』は、卓越したパイオニアの復活を宣言するとともに、新たな領域を切り拓き、ファンたちに彼の活動を追い始めた理由を思い出させてくれた。(Patric Fallon)

if you're reading this it's too late - drake

2015年2月、ドレイクは何の前触れもなく、4作目となるミックステープ『If You’re Reading This It’s Too Late』をリリースした。スカスカで不気味なビートに乗って大言壮語を吐く、彼の確固たる意志が伺える本作によって、彼は金ピカの玉座の上で怒り狂う全能の神〈シックス・ゴッド(6 God)〉となった。トロントには有名なラッパーがほとんどいないとはいえ、メインの楽曲を米国人が共作していることで議論を呼びそうな本作が、なぜトロントのラップシーンに大きな刺激を与えたのかはわからない。しかし、ドレイクの些細な物事を、ミームとして持て囃されそうなキャッチフレーズ(とリピート必至の「Know Yourself」のような、家の梁まで震わせそうなアンセム)へと変える手腕がこれほど顕著に表れている作品は、今までなかった。絶えず本作の根底にある苛立ちは、長らく無視されてきたトロントのヒップホップ・コミュニティの怒りを代弁しているかのようだ。本作を通して、テン年代を代表するポップスターは再び自身のルーツに立ち返り、自らが真のラッパーであることを証明するとともに、必要不可欠な音楽を完成させた。(Phil Witmer)

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パーティネクストドア(PARTYNEXTDOOR)として知られるジャフロン・ブラスウェイト(Jahron Brathwaite)が、「Belong to the City」のなかで、荒削りなテナーボイスで歌う「お前はあのビッチたちに何もいえない」というリリックは、決して侮辱には聴こえない。むしろ、本物の自信を前にした、気弱な賛辞のようだ。彼は、トロント郊外のミシサガで育った若者のなかでは抜きん出た存在だったはずだが、まるでダンスパーティ会場の壁際に並ぶ折りたたみ椅子の気持ちを理解しているかのようにリリックを刻む。

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2014年、彼は21歳にして、ドレイク率いる〈OVO Sound〉の不可欠なメンバーとなりつつあった。同年にリリースした、ほぼセルフプロデュースで完成させた『PARTYNEXTDOOR TWO』は、彼の生意気さと卓越した才能が見事に融合した作品だ。MIDWESTERN DIRTの「Act like you've been here before」は、注目を集めようと必死なひとに有益なアドバイスを贈ったが、本作はその〈必死さ〉が表れているという点で、ザ・ウィークエンド以降のテン年代のR&Bシーンのなかでも異色の作品といえる。「FWU」ではやや無理のある高音域に挑み、「Muse」ではオークランドの美しい女性に出会った途端、いきなり危険な「Uターン」をきめたかと思えば、「俺はいったい何をしてるんだ?」とふと我に帰る、ちょっと滑稽な瞬間を歌う。だが、本作の代表曲は「Thirsty」だろう。このトラックでは、彼は競争についてではなく、自分自身について歌っている。(Ross Scarano)

popcaan forever

ポップカーン(Popcaan)の2枚目のスタジオアルバム『Forever』は、彼の作詞センスが存分に発揮されていると同時に、ダンスホール・ミュージックの変化を指摘した、芳醇でダイナミックな作品だ。スパイス(Spice)のEP『Captured』の数ヶ月前にリリースされ、Billboardのレゲエチャートで2位にランクインした本作は、現代のダンスホール・ミュージックが、音楽界における最大の栄誉であるグラミー賞候補になりうるという可能性を証明した。ポップカーンはかつてヴァイブス・カーテル(Vybz Kartel)の弟分だったが、本作では、ダンスホールシーンを代表する奇才として、自分なりのレガシーを残し続けている彼の成熟した音楽性がよく表れている。彼の作品のなかには、名声に伴う苦悩や疑念に立ち向かったり、物質的な富を自慢する楽曲もあれば、ひとりで、もしくは家族、友人、女性と過ごす時間の楽しさについて歌う陽気なトラックもある。「俺に感情はいらない/持ち運ぶのは銃だけ」と歌う「Bullet Proof」を聴いていると、個人的には感情も(メタファーとしての)銃もあったほうがいいと思うが、『Forever』がポップカーンというアーティストを改めてこの世界に知らしめた作品であることには変わりない。(Sharine Taylor)

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DEERHUNTERの『Halcyon Digest』は、徹頭徹尾、細部まで美しく、まったく飽きがこないという点で、非常に稀なアルバムだ。本作は、このバンドが得意とするふたつ(優しいバラードとドライブ中に窓を開けて歌いたくなるアンセム)とのあいだで絶妙なバランスを保っており、曲の並びは、何度聴いても新しい発見があるよう意識されている。ヘッドバンギングをしながら「Revival」を聴いた数秒後には、「Sailing」によって眠気を誘われる。心が完膚なきまでに打ち砕かれ、この先ずっと起き上がれないような気持ちになったときも、「Memory Boy」の音の洪水には圧倒される。本作がリリースされる9ヶ月前に逝去したジェイ・リータード(Jay Reatard)に捧げられた、痛烈で陰鬱な「He Would Have Laughed」を聴き終える頃には、長い旅を終えたような気分になる。しかし、疲労を感じることはない。本作は死を中心的なテーマに据えているものの、DEERHUNTERの音楽は紛れもなく生きている。『Halcyon Digest』は、インディロックを再定義したわけでも、このジャンルを未知の領域へと押し広げたわけでもないが、その最大限の可能性を体感させてくれる作品だ。(Drew Schwartz)

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今となっては必然に思えるが、完璧なタイミングで努力が実を結び、フューチャー(Future)はテン年代でもっとも重要なラッパーとなった。現在の私たちは、彼の『FUTURE』も『HNDRXX』も『DS2』も知っているし、それらが伝説に残る作品だということも理解している。しかし、私たちはその本当の意味を理解しているだろうか。彼の運命は、どちらに転んでもおかしくなかった。彼の右腕のDJエスコ(DJ Esco)はドバイで収監され、フューチャー自身はコデイン中毒に苦しめられた。率直にいえば、誰もが彼のことを忘れようとしていた。そんなある日、〈March Madness(3月の狂乱)〉が突然始まった。

『56 Nights』こそが、フューチャーの存在が必然となった作品だ。そのサウンドはダムを決壊させ、(「Trap Niggas」のリリックにもあるように)ジョージア州ディケーターでキャンピングカー1台分のコカインをばら撒くかのようだ。フューチャーの神話をつくる炎に注がれるアラブの油。あらゆる悪巧みを働き、セクシーな女性を連れ回した1ヶ月のあと、刑務所で過ごした五十六夜。いかにも808マフィア(808 Mafia)らしい、この世の終わりのような高揚した、甲高い音。それらが融合して純粋なエネルギーが生まれた。「カネなんてどうでもいい 大事なのは仲間だ」(「Diamonds from Africa」)は、新たなマントラになった。未来のヘンドリックス、〈ダーティ・スプライト(dirty Sprite:コデインと咳止めシロップを混ぜ、炭酸飲料を加えたカクテルドラッグ)〉、そして伝説…。これはまさに、今という時代と来るべき未来を象徴する作品だ。(Kyle Kramer)

prurient - frozen niagra falls

ノイズ・ミュージックやパワーエレクトロニクスについて語るとき、ドミニク・ファーナウ(Dominick Fernow)と彼の長きに渡るプロジェクト〈Prurient〉の名前が、真っ先に挙がるわけではない。しかし、彼はこのジャンルで大きな影響力を有する、先駆的なアーティストだ。さらに、彼の真の最高傑作はどれか、もしくは彼の実験的なレーベル〈Hospital Productions〉そのものが彼の作品といえるのかは、いまだに議論の余地があるが、もっともアンダーグラウンドシーンを震撼させた作品が『Frozen Niagara Falls』であることは疑いようがない。2015年、〈Profound Lore Records〉からリリースされた本作は、歯ぎしりのようなノイズに、擬似的なシンセポップ、さらにアンビエント・ミュージックを真っ向からぶつけ、穏やかな旋律からダークなメタル/パワーエレクトロニクスへと移り変わり、最終的には完全なるカオスへと行き着く。このような相対するスタイルが組み合わされていることで、かえってメロディが調和し、静寂がこだまする地下世界のような本作の世界観は、いっそう不気味さを増す。しかし、本作の素晴らしいところは、その苛烈さでも相対するスタイルでもない。約90分間で、ひとつの旅を終えたように気分になれることだ。リスナーに親切なアルバムとは言い難いかもしれないが、一貫性があり、知性を湛えながら、非常にカオティックな作品だ。(Fred Pessaro)

the weeknd - house of balloons

2011年のアルバム『House of Balloons』は、いまだにあまり情報を明かしていないザ・ウィークエンドという人物の、神秘的で魅力的なイントロダクションだった。無料公開されたこのミックステープは、匿名ながらドレイクのブログで紹介されたが、彼はその後2年はインタビューなどに応じることなく沈黙を貫いた。
本作はアップダウン激しく、ゆらゆらと揺れながら弧を描く。酒やドラッグでハイになっているプロダクションや、フロントに女性を擁したどこか悲劇的な匂いを漂わせる過去30年のポップス(アリーヤ、BEACH HOUSE、SIOUSIE AND THE BANSHEESなど)から丁寧に抽出されたサンプリングにより、作品に命が吹き込まれている。本作は、暴力描写なしでドラッグ、セックス、無感動など、最低でも最高でもない夜遊びで経験する物事を描いているが、それこそザ・ウィークエンドがこの10年表現してきたテーマだ。しかし当時としては、本作は実に新鮮だった。音楽のリリースの仕方も悲しみの描きかた(ライフスタイルの一環としての悲しみ)も、サウンドも新しかった。本作のサウンドは、今のR&Bにも大きな影響を与えている。(Emma Garland)

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grimes - visions

プロデューサー/アーティストのグライムス(Grimes)はかつて自らの音楽を〈ポスト・インターネット〉と称したが、今考えると愛おしさすら覚える。TikTokが流行ったり、Instagramには赤ん坊アカウントが乱立したり、とインターネットは終焉する気配を見せないが、〈ジャンルレス〉な未来への道を開いたテン年代のアーティストといえば間違いなくグライムスだ。3枚目となる『Visions』の制作のために、彼女は3週間閉じこもり、エレクトロ、K-POP、80年代ポップス、ニューエイジなどをごた混ぜにしたような自らのサウンドだけに集中した。その結果生まれた作品は、まるで精密に調整されたロボットの手によるものか、と思うような出来映え。しかし彼女は常々、ポップミュージックをつくりたい、と公言しており、その言葉を裏切らないメロディやフックが、彼女が確かに人間であるということを証明している。
『Visions』はCOCTEAU TWINSやビョークと比較されがちだが、グライムスの曲は異次元感がより強い。天上に暮らすエルフやサイボーグの天使を思わせる彼女の高音ボイスは繰り返しループされ、聴いていると回転しながら宇宙に漂う円筒のなかに閉じ込められたような気分になる。直接的であると同時に抽象的、激しいと同時に神秘的な彼女の音楽は、まだインターネットが楽しかった時代の、深夜の妄想が創り出した不思議の国への入り口だ。(Hannah Ewens)

blood orange - cupid deluxe

今となっては、英国のミュージシャン/プロデューサー、デヴ・ハインズのサウンドは、彼のサウンドだとすぐにわかるだろう。彼名義の音源はもちろん、最近ではカーリー・レイ・ジェプセン(Carly Rae Jepsen)、デビー・ハリー(Debbie Harry)、マック・ミラー、エンプレス・オブ(Empress Of)まで、スムースでカラフルなシンセ、電子ピアノのメロディ、ピシャリと打つドラム音なんかを耳にしたら、だいたい彼が一枚噛んでいる。

そんな彼の、アーティストとして、そして〈作家〉としての評判を確固たるものとしたのが、2013年に発売されたブラッド・オレンジ(Blood Orange)名義の2ndアルバム『Cupid Deluxe』だ。「Chamakay」のなめらかなファルセット、「Chosen」のドリーミーなサックス、「You're Not Good Enough」のクールな、80年代的なグルーヴ。本作こそが、洗練されていながらレトロで、だけど新鮮で未来志向なテン年代の新しいポップスの道を切り開いたといえる。しかしそれ以前に、このアルバムは単純に明るく、楽しい作品だ。全11曲の収録曲はそれぞれ異なったムードを醸し出し、NYの地下鉄の車内で孤独に瞑想する夜から、カラフルに色づくダンスフロアで感情むき出しに踊るAM2時まで、様々な景色をみせてくれる。
『Cupid Deluxe』はデヴ・ハインズの作品として例外的なアルバムというだけでなく、このあと彼が生み出すすべての作品の礎となった、傑作というべきすばらしいアルバムだ。(Daisy Jones)

charli xcx - pop 2

2010年代を通してすばらしい活動をしてきたチャーリーXCX(Charli XCX)は、今や〈フューチャーポップ〉という言葉と同義だ(※〈getting absolutely wrecked(意:マジでイっちゃってる;酔っぱらってる)〉というフレーズも参照のこと)。その鏑矢となったのは、ソフィーがプロデュースし、2016年にリリースされたEP『Vroom Vroom』。本作は、リリース当時は正しく理解されなかったが、今となってはチャーリーXCXという宇宙船の進むべき方向性をはっきりと示した大事な作品だった。『Vroom Vroom』で、自らが生み出すヴァーチャル・リアリティにポップミュージックを融合させる、というチャーリーの挑戦が始まったのだ。そして、それが結実したのが2017年末に発表されたミックステープ『Pop 2』だった。

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本作は気持ちいいほど劇的なサウンドに、あえてフューチャリスティックに作られたサウンド(たとえば「Out Of My Head」や「Unlock It」なんかは、Depop(※英国発のフリマアプリ)で〈Y2K(=2000年代)〉と打ち込んだら現れてきそうなサウンドだ)に溢れているいっぽうで、メインストリーム(的な)ポップスの可能性についての、画期的かつコンセプチュアルな青写真を提示してくれている。
音源流出やレーベルの混乱期の最中にリリースされた本作は、インターネットにおける文脈を押さえつつ、実験的でリアルタイムを反映している作品だ。すなわち、退屈で皮肉に満ちたポップミュージックのリリースサイクルの枠にはまっているというより、ヒップホップ的だといえる。参加アーティストも、カーリー・レイ・ジェプセンからカップケーク(CupcakKe)まで多岐にわたる。
「ニセモノでも全部欲しいの」。商品化されたポップスの巧妙さをよく知っている彼女は、「Backseat」で大胆にこう歌ってのけた。今振り返ってみれば、当時の彼女はすでにすべてわかっていたのだ。(Lauren O'Neill)

deafheaven - sunbather

サンフランシスコの5ピースバンド、DEAFHEAVENは、理屈の上では形容しやすいバンドだ。高速ブラストビートが生み出すブラックメタル/デスメタル的な過激さと、怒涛のように展開していくポストロック/シューゲイザー/ドリームポップ的サウンドを組み合わせてみれば、それがDEAFHEAVENである。しかし、言葉で説明するのは簡単だが、それを想像してみようと思うと難しい。テン年代に入る頃、様々な要素が組み合わさった一種のプラグマティズムはもはや避けることができない状態であったが、バンドはその前提に基づきながら具現化されたフォーミュラであり、メンバーたちは、バンド練習の場所で生まれた純粋なアイデアを軽く発展させて自分たちのサウンドを生み出したものの、すぐに注目されることなど考えてもいなかった。しかしそんな謙虚な始まりにもかかわらず、DEAFHEAVENは、自分たちの愛するヒーローたちのサウンドを参照しつつ、これまでにないほど大胆でヘヴィで劇的な世界観を生み出し、並みのバンドではないことを『Sunbather』で証明した。

収録時間は59分。優美なトレモロ、マスロック的でメロディックなコード展開が印象的だ。ブラックメタルを限界まで押し広げつつ、フロントマンのジョージ・クラーク(George Clarke)の吼えるようなヴォーカルと、ブラックメタルバンドらしい繊細なリズムでアルバム全体としての統一感を出している。「Dream House」や「Sunbather」では、ブラックメタル固有の不安定さのなかでコンセプチュアルな意図をもって演奏しているように思うが、「Irresistible」や「Vertigo」では、ブラックメタルらしからぬ、軽やかさを感じさせる。
当然のごとくメタル原理主義者からは疎まれた本作だが、大胆かつ性急で、攻撃的な現代のロックミュージック(特に、伝統に忠実なことが尊ばれ、未来への発展が妨げられる音楽ジャンル)における必要性を示したのは確かだ。なにせ、ふざけた音楽が、こんなにも感動的なはずはない。(Rob Arcand)

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「バウ!」という第一声から、最後のカーテンコールまで、『Flockaveli』におけるワカ・フロッカ・フレイム(Waka Flocka Flame)の立ち位置は常に明確だ。彼は「ブリック・スクワッド!」と叫ぶモッシュピットの真ん中で、戯れに顔を殴り合うオーディエンスに囲まれて立っている。「俺らはこのクソみたいな場所でギャングサインをかます」(「Bang」)とワカは叫ぶ。「この業界はマジでクソ/俺はストリートにいるぜ」(「Fuck this industry」)とワカは歌う。「ワカ!フロッカ!ワカ!フロッカ!ワカ!フロッカ!」。詩として研究されるべきラップ詞があるとしたら、彼の歌詞は〈叫ばれる〉べきだ。ビール瓶を誰かの頭に叩きつけながら叫ぶのが理想だ

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テン年代の初頭、ラップの未来は不安定で、スタジアム規模に過剰に膨れ上がっていた。そんな状況を正したのは、粗削りの本作だった。スタジアムの客席からラップファンを引き剥がし、ラップをエネルギーに満ちたルーツへと回帰させ、本作のリリース後、スラムダンスやステージダイビングに興じるラップファンたちの姿が目撃された。
パーカッションのように即興で繰り出すスタイル、韻律のないパンチラインは、ワカの代名詞となった。プロデューサーを務めたレックス・ルガー(Lex Lugar)の、あるいはサウスサイドを象徴するポストクランク的なサウンドは、若きプロデューサーたちのインスピレーション源となり、より凶悪なサウンドが磨かれたり、トラップミュージックを広めるきっかけとなった。本作がそのような大きな影響を与えた作品であることは確かだが、何よりも大音量で聴いていて楽しい作品であることも間違いない。詩人は歌う。「音量を上げろ! 俺はクソみたいにハイになる」(Kyle Kramer)

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カマシ・ワシントンの『The Epic』がHBO独占放送の立派なドラマシリーズだとしたら、サンダーキャット(Thundercat)の『DRUNK』はAM4時にアダルトスイムで流れ、まだ起きている視聴者を混乱させるような番組だ。2010年の『Cosmogramma』以降のフライング・ロータス(Flying Lotus)のスタジオアルバムで大黒柱として活躍するスティーブン〈サンダーキャット〉ブルーナー(Stephen Bruner)が、自らのエキセントリックなアイデアを解放したのが『DRUNK』。本作はいわば、アニメヲタク、動物擬人化キャラヲタク、その他、あらゆるニッチな趣味嗜好のヲタクたちのためのジャズアルバムだ。
卓越したベーステクニックを有する彼は、ケンドリック・ラマーからSUICIDAL TENDENCIESまで、幅広い音楽性に柔軟に合わせることができる。しかし彼自身のアイデアを突き詰めるうえで、彼の相棒の楽器は、純粋な(あるいは子どもっぽい、といえるのかもしれない)いたずらを実現するためのエネルギーとして機能している。ソフトロックの雄、ケニー・ロギンス(Kenny Loggins)とマイケル・マクドナルド(Michael McDonald)を招き、遊び心がありつつも真摯に仕上げた「Show You The Way」。ストーナーラップのアイコン、ウィズ・カリファ(Wiz Khalifa)をフィーチャーした、弱々しい『不思議の国のアリス』を思わせる「Drink Dat」。また、神経質なフュージョンサウンドが印象的な「Captain Stupido」をはじめとする様々な楽曲に、フライング・ロータスが参加している。しかし、本作に現れる歓びに満ちたマニアックさは、何よりも鬼才ブルーナーの手腕によるものだろう。(Gary Suarez)

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2018年に発表された「Django Jane」のMVに登場したジャネール・モネイ(Janelle Monáe)は、ディープレッドのパンツスーツに身を包んだド派手なクイーンだった。彼女は自らが成し遂げてきた功績を饒舌に並べ立て、まったく新しいアーティストの誕生を高らかに宣言した。「ミュートボタンを押して/ヴァギナに語らせて」と彼女は要請する。この曲が収録されたアルバム『Dirty Computer』(とそれに付随する〈エモーション・ピクチャー〉)は、自らをパンセクシュアルの「自由なマザーファッカー」とカミングアウトして以来初めて公開されたプロジェクト。切迫感に溢れ、真の力を求める作品となっている。「あたしのプッシーを掴もうとするなら/プッシーがあんたを掴み返してやる」と歌う「I Got the Juice」をはじめとして、本作はトランプ大統領時代の米国を生きる不安感に言及している。その筋書きは、モネイの記憶を消し去ろうとする政府が登場するような、アフロフューチャリスト的な物語だ。しかし、彼女の楽観的な黒人クィアの生活を、リアルなアメリカンドリームとして提示することで、未来へ一筋の希望を与えてくれている。彼女は、あの忘れがたいヴァギナパンツと、プリンスにインスパイアされたダンスに象徴される自らのイメージをもって、米国的な自由をつくり変えたのだ。(Taylor Hosking)

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ノースカロライナ州アッシュビルに暮らすソングライター、エンジェル・オルセン(Angel Olsen)のディスコグラフィは、変化に次ぐ変化が特徴だ。彼女はアルバムごとに、見事に、時に暴力的なまでに、自らの方程式に大きく手を加える。2012年のデビューアルバム『Halfway Home』のスカスカのサウンドと、2017年の最新アルバム『All Mirrors』での音の厚さを極めたオーケストラサウンドには、進化というべき大きな違いがある。しかし、もっとも特筆すべき飛躍は、セカンドアルバム『Burn Your Fire For No Witness』で実現された。彼女のさえずりのような魅力的なヴォーカルは、ロック寄りの「Forgiven/Forgotten」や「High & Wild」において獰猛に燃え盛る。本作では筋骨隆々で大声で叫びまくる4ピースロックバンドのようなアレンジがされているが、まさに彼女の声のパワーにふさわしい。しかし、7分近いフォークの大作「White Fire」のような、より静かな曲でも、その切迫感に圧倒される。本作でオルセンは、誰もが耳を傾けるべきアーティストとして、卓越した才能と魅力を見せつけている。(Josh Terry)

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スフィアン・スティーヴンス(Sufjan Stevens)がこの10年でリリースしたオリジナルアルバムは、2010年の『The Age of Adz』と2015年の『Carrie & Lowell』のみ。この2作は、エレクトロサウンドとアコースティックサウンドで対になっているような作品だ。『The Age of Adz』では一部のファンを怖気付かせるほどに奇妙なエレクトロを聴かせたが、実は、本当に恐ろしいのは『Carrie & Lowell』の消え入りそうな楽曲のほうだ。
彼は本作で『Greetings from Michigan』や『Seven Swans』のアコースティックな音像へと回帰しながら、母、キャリーの死と向き合った。キャリーは精神疾患と薬物依存症を抱えていたため、スフィアンが母親と会うことはほとんどなかったが、2012年、彼は母の死を看取る。そしてそれをきっかけに、彼は大きな感情の波にのまれた。怒り、罪悪感、ノスタルジー、憂鬱。その憂鬱はあまりにも深く、彼は自殺を考えるほどだったという。それについて歌われているのが「The Only Thing」だ。
本作は心がえぐられるような悲しみをたたえているが、細かく曲をみていくと、最終的にそこには〈許し〉がある。ビデオショップで自分を置いていったキャリーをスフィアンは許し、母といっしょに過ごした少ない時間の思い出を愛おしむ。そして息をのむほど美しい「John My Beloved」で、ついに和解を望む。Pitchforkのインタビューで「自分が壊れてしまいそうだった」と語る経験から、彼は傑作を生み出した。(Josh Modell)

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当時20歳だったチャンセラー・ベネット(Chancelor Bennett:チャンス・ザ・ラッパー(Chance The Rapper)の本名)が無料の音楽配信プラットフォーム〈Datpiff〉にアップロードした『Acid Rap』は、彼の故郷のシカゴはもちろんのこと、従来の音楽業界で成功を掴むのではなく、インディペンデントで活動することを選んだ若きアーティストたちをも奮い立たせた。彼の2作目となるこのミックステープは、構成においても構想においても大手レーベルのスタジオアルバムに引けを取らず、どのトラックも、ソウル、ファンク、ジューク、ヒップホップの境界線を大胆にぼかしている。「Good Ass Intro」によって高らかに始まる本作は、最後まで生気に満ちている。タバコの匂いを漂わせていたせいでトラブルに巻き込まれた、と歌う「Cocoa Butter Kisses」など、一見すると青春時代にフォーカスしているようだが、静かな「Acid Rain」などのトラックでは、銃の暴力によって喪った友人にまつわるリリックに心が痛む。「俺は目の前で見た すぐ目の前で いつも目に浮かぶ/まだ叫んでる彼が 誰もいない廊下に漂う彼の憎悪が」。これらの楽曲には、本物の痛み、苦しみが鮮明に描かれている。本作を傑作たらしめているのは、彼の負けん気の強さ、そしてシカゴのある夏の最高の出来事と最悪の事件、その両方にまつわるリアルな描写なのだ。(Josh Terry)

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どこかで、あごひげを生やした男が、10分以上ものあいだ「The Battle of Hampton Roads」に聴き入っている。ろれつの回らない口調で、フランネルシャツの袖に向かって「今のこいつらにはこんな曲作れないよな」などとモゴモゴと呟きながら。しかし、彼の評価は半分間違っている。
TITUS ANDRONICUSのどこか不安定で病的なまでに意欲的な2ndアルバム『The Monitor』は、本作と同様、どこか不安定で病的なまでに意欲的な数多のパンク/エモバンドの聖典となった。しかし、蔑ろにされている歌劇の台本、APプログラム(※学力の高い高校生を対象とした高度な教育プログラム)の歴史の授業、バグパイプのソロに、自らの精神的な落ち込みを投影していた彼らのなかから、充分な活動資金を得たり、有名になったり、VAMPIRE WEEKENDやM.I.A.と同じレーベルに所属してインディシーンでの信用を獲得するバンドは登場しなかった。

TITUS ANDRONICUSの扇動的な路線は、インディロックのより大きな枠組みにおけるニッチな分野へと吸収されるなかで次第に鳴りを潜めていったが、本作ほど社会政治的に未来を暗示していた作品は、今日まで誕生していない。トランプ大統領の当選後、『侍女の物語』や『The Plot Against America』などのディストピアSF小説の売り上げが急増したが、これらの作品は、南北戦争のトラウマに正しく向き合い損ねてきた米国の終わりを見出すというより、当時の政治情勢をフィクションになぞらえるという、ある種の慰めを提供する意味合いが強かった。
フロントマンのパトリック・スティックルズ(Patrick Stickles)は、オバマ前大統領就任という歴史的快挙のあとに始まった〈新常態(世界経済はリーマンショックから立ち直っても元には戻れないとの見解から生まれた、構造的な変化が避けられない状態を指す言葉)〉は、終焉に向かうだろうと予想していた。彼は、オバマ前大統領の外交的礼譲による実現不可能な公約を見抜き、頭の固い共和党員であれ、スポーツ/ポップカルチャーブログ〈Barstool Sports〉のファンであれ、右派が延々と良識を踏みにじる未来を予見していたのだ。「Four Score and Seven」で、「俺たちはまだヤツらと戦っていて きっとヤツらが勝つ」とパトリックは警告したが、これこそが、永遠に続く米国の自らとの戦いで彼が上げた〈ときの声〉なのだ。(Ian Cohen

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ケンドリック・ラマーの『Good Kid, M.A.A.D City』を楽しむ方法はふたつある。まずは豪華なコラボレーターを揃え、ドクター・ドレー(Dr. Dre)が信頼する後輩に託してきた潤沢な資金を活用した、巨大レーベルならではのラップアルバムとして。もうひとつは、本作の〈隙間〉に入り込み、そこに潜む最大の謎を紐解くことだ(そもそもこの謎を解かなければ、本作を本当の意味で楽しむことはできない)。トラックの合間に挿入された不鮮明な話し声は、密かにあるストーリーを物語っている。悲劇から始まり、許しで終わるこのストーリーは、壮大で映画的な、夢から覚めるようなエピローグを迎える。例えば「Backseat Freestyle」は、あらゆるラッパーの頂点に君臨する楽曲だが、ケンドリックのどこか屈折した才能によって、(続く「The Art of Peer Pressure」で語られる)強奪の前の、抵抗し難いアドレナリンの衝動について歌っていると捉えることもできる。このような大言壮語を並べるリリックこそが、彼が繰り出す最大のトリックなのだ。(Luke Winkie)

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今年、ケイシー・マスグレイヴス(Kacey Musgraves)は、『Golden Hour』をひっさげ、〈Oh What a World Tour II〉を行なった。10月、その4分の3の行程が終わる2日前の夜、ラジオシティ・ミュージックホールでのライブでは、ほとんどのオーディエンスが客席に座ろうとすらしなかった。彼女は王道のカントリーソングもセットリストに取り入れたが、なかには大手レーベルからリリースされた彼女の最初の2枚のアルバムや、彼女が他のアーティストに提供した楽曲(2012年のテレビドラマ『Nashville』で使用された「Undermine」など)にあまり馴染みのないファンもいたはずだ。
それでも『Golden Hour』はあらゆるリスナーを迎え入れ、ケイシーのつくりだす魔法の世界へと誘う玄関口的なアルバムとなった。本作には、彼女を語るには欠かせない要素がすべて詰め込まれている。トリッピーな雰囲気、美学、そして彼女の〈本物〉の音楽だ。しかし、それらの特徴のなかでもっとも重要なのは、本作がビーチでくつろぐ時間やドライブ、部屋の掃除など、あらゆる瞬間のサウンドトラックになるいっぽうで、もっと崇高な何かに捧げられているということだ。新規ファンは、彼女の進化していくサウンドに偶然惹かれたのかもしれないが、本作には活動当初からのケイシーらしさがすべて詰まっている。〈ゴールデンアワー〉というタイトル通り、幽玄で、感動的で、楽しく、彼女が歌うように「幸せだけど悲しい」作品だ。(Kate Dries)

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この10年で、エレクトロニックミュージックをこれほど奇妙かつ美しく変化させたアーティストは、ベネズエラ生まれのプロデューサー/シンガーソングライターのアルカをおいて他にはいないだろう。ヒップホップで自らの感情を豊かに表現した2012年の『Stretch 1』や、伸縮するシンセを駆使する2014年の『&&&&&』は、ミックステープというより、いわば〈21世紀版ロマン派音楽〉とでも呼ぶべき作品だ。カニエ・ウェスト、ビョーク、FKAツイッグスなどのアーティストにコラボレータートして指名されたことを踏まえると、彼女がアンダーグラウンドミュージックを見限ったようにみえるかもしれないが、同時に彼女は、自らの裡にあるもっとも豊かな世界観を、他のアーティストの楽曲のために使っているようにも感じられた。
しかし2017年のアルカは、それを一変させた。彼女はこのラブソング集(もしくは愛という抽象的な感情を取り巻く雰囲気の集成といったほうが正しいかもしれない)で、母語であるスペイン語の歌声を中心に据え、断片的なピアノ、温かいストリングスを取り入れた。彼女の歌声は、まるで17〜18世紀の大聖堂に響く聖歌を思わせる。本作には、夜、冷え切った部屋で、揺れるキャンドルの炎を見つめながら、遠くにいる誰かを想うような、どこか神聖な雰囲気が全体に満ちている。かと思えば、突然ピシャリと鞭で打たれるような衝撃が訪れる。それこそがアルカを聴く醍醐味だ。(Emilie Friedlander)

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批評家に絶賛されたカーリー・レイ・ジェプセンの『E•MO•TION』について、まだ語られるべきことはあるだろうか。レビューを読むと、このアルバムはヒットチャートを席巻し、ずっと上位をキープしていたのだと思うかもしれない。しかしカーリーは、〈過小評価されている〉と同時に〈過大評価されている〉アーティストのひとりだ(見解には個人差がある)。あなたの見解はどうであれ、『E•MO•TION』は間違いなく、これまでの彼女の最高傑作だ。心温まるエレクトロニックなサウンドで、そのB面(本作の数ヶ月後にリリースされた『Emotion Side B +』)もチャート上位にランクインした。
『E•MO•TION』は、いわば世界随一のロマンティックコメディだ。最初の「Run Away With Me」から「When I Needed You」までは、望みのない恋に翻弄される彼女の長い日記のよう。「すごく、すごく、すごく、すごくあなたが好き/あなたが欲しい あなたもそう? あなたも私を欲しいと思ってくれる?」というあからさまな歌詞から、「カーリー もう諦めて/彼女に電話でいわれたでしょ/『あんたの男問題は聞き飽きた』って」という具体的なものまで、どれもカーリーらしさ満点だ。しかし、彼女の(本作のタイトルでもある)〈感情〉は、一発屋にもその後の人生、つまり愛があるということを証明している。(Lindsey Weber)

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キャリア20周年を迎える手前にリリースされた、ビヨンセ自身の名前を冠した彼女の5枚目のアルバムは、音楽業界に革命を起こした。『Beyoncé』は、ビヨンセの過去作とは一線を画し、彼女の成熟した自己像を提示しただけでなく、従来の配信方法を覆し、アルバムジャケットの定義を刷新した。2013年、事前のプロモーションもなくリリースされ、〈ヴィジュアル・アルバム〉と銘打たれた本作は、全楽曲に見事な映像のMVを制作し、まるで映画を観ているかのような没入感を生み出した。この画期的なリリースは、ヒューストンに生まれ、かつてDESTINY’S CHILDとして一世を風靡した彼女が、慣例にとらわれないマーケティング戦略に躊躇なく挑戦できるということを証明した。その戦略が功を奏したのか、本作はiTunesの売り上げ記録を塗り替え、わずか3時間で8万ダウンロードを達成した。

楽曲の内容も、彼女の過去作とはまったく違う。「Pretty Hurts」や、作家チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(Chimamanda Ngozi Adichie)がフェミニズム理論について解説するスピーチをサンプリングした「Flawless」など、重々しい社会政治的な問題に、これまでになく直接的に言及している。ビヨンセは、夫婦の愛情や自己実現について語り、「Drunk in Love」「Partition」「Flawless」など、歴史に残る最高のアンセムを生み出し、次のヴィジュアル・アルバム『Lemonade』への礎を築いた。『Beyoncé』の3年後にリリースされた今作では、彼女の怒り、解放、夫のジェイ・Zの不倫に対する赦しが歌われていた。『Beyoncé』から約6年、さらなるサプライズリリースが待たれる。ヴィジュアル・アルバムはもはや珍しいものではなくなり、ビヨンセは現代でもっとも偉大なアーティストとしての地位を確立した。彼女の大躍進は、すべてこのアルバムの大胆かつ巧みな戦略から始まったのだ。(Alex Zaragoza)

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テン年代を席巻したのはアトランタとそこに住むアーティスト、彼らのサウンドだが、もっとも大きな影響力を誇るのは、シカゴとそのドリルミュージックだろう。この荒っぽく攻撃的なサブジャンルは、攻撃的なサウンドを特徴とするラッパー、ボビー・シュマーダ(Bobby Shmurda)など、ニューヨークにも迫る勢いで、韓国人ラッパーのキース・エイプ(Keith Ape)など、遠く離れた韓国にまで影響を及ぼした。このシーンはタフでありながら近くのひとの顔に肘をぶつけても怒られないような音楽をつくる、という新たなスタイルの先駆けとなった(もちろん、怒られないかどうかは、どこの会場か、相手がどんなひとかにもよるが)。
チーフ・キーフ(Chief Keef)がこのムーブメントのシンボルであり、巨匠でもあるのには理由がある。『Almighty So』は、胸に響く重低音のビート、タフなリリックに満ちたアルバムだ。聴いていると、まるで自分がサノスになったように感じる。本作は、その数年前に登場し始めたR&Bよりのラップサウンドを後押しし、チーフ・キーフがラップ界における最重要シーンのスタンダードを担う存在であることを改めて証明した。(Trey Smith)

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新年を迎えるさい、新たな目標を立てる(または破る)ひとも多いだろう。スウェーデン人ポップシンガーのロビン(Robyn)は、失恋や単純に生活による未来への不安をダンスフロアへとぶちまけることで、2010年代の始まりを祝った。その結果完成したのが、彼女の7枚目となる、以前リリースされたミニアルバム2枚の主要曲を含むコンピレーション・アルバム『Body Talk』だ。

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本作には「Indestructible」や「Stars 4-Ever」など、幸福感に満ちた収録曲もあるが、より有名なのは、ダンスフロアを沸かせる破滅的なアンセム「Call Your Girlfriend」や「Dancing On My Own」だろう。「Dancing On My Own」は2012年、ドラマ『Girls』のシーズン1で、レナ・ダナム演じるハンナが親友のマーニーとシェアルームで踊るシーンで起用され、一躍有名になった。この番組への意見はどうであれ、このシーンには『Body Talk』の唯一無二で色褪せない魅力が凝縮されていた。孤独、ノスタルジー、禁じられた恋を歌った収録曲は、土曜の夜にぴったりな放蕩さと、日曜の明け方、家への帰り道でそっと寄り添ってくれるような温もりを併せ持つ。(Avery Stone)

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みんなが右に向かうとき、ティエラ・ワック(Tierra Whack)は左に向かう。2018年、長ったらしいトラックリストや約2時間に及ぶアルバムが相次いでリリースされたが、このフィラデルフィア出身のラッパーは、デビューアルバム『Whack World』で自らのルールを打ち出し、業界の基準を完全に破壊した。彼女はタイトル通り、〈ワック・ワールド〉の最高司令官なのだ。この世界では、彼女のデビュー作がたった15分で終わってしまうことに、誰も疑問を持ったりしない。現代人の集中力の持続時間を考慮し、一瞬で終わってしまうが、同時に見事にキュレーションされた本作は、音楽の未来を提示していた。すべての楽曲が、彼女のラップバトルの卓越した手腕を証明している。ワックは独特のユーモアセンスをもって、自然体で、いとも簡単にそれをやってのけた。「蚊みたいにイライラさせる」(「Bug's Life」)など的確なメタファーをリリックに取り入れ、風刺に富んだマンブルラップを繰り出す。ワックがやっていることは、もちろん他のラッパーにもできることだ。しかし、そこには紛れもない彼女らしさが存在する。

デビューアルバムというより、大ヒットソングのコンピレーションアルバムに近い本作で、彼女は「Bug's Life」や「Sore Loser」のパンチの効いたラップから、「Hungry Hippo」のようなR&Bナンバーまで、幅広いスタイルに挑んでいる。また、わざとらしい鼻声訛りで歌う「Fuck Off」では、リル・ナズ・X(Lil Nas X)の登場によってカントリーラップが話題にのぼる前に、彼女はこのジャンルにおけるストーリーテリングを駆使して、彼女に父親がいないことを指摘する男に「失せろ」と告げる。一見エキセントリックな本作は、クリエイター自身と同様、確固たる自信に満ちている。「私がつくってきたものは誰にも奪えない/自分はもっとできるって わかってるから」(Kristin Corry)

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カニエ・ウェストが自らを抑制しようとしないことは、美徳とはいわないまでも、『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』のようなアルバムをつくることができた理由であったといえるだろう。意欲的なサウンドに、むき出しの心情を乗せた本作は、米国の富や人種問題、さらに、名声、女性、そして自らのエゴとカニエの一筋縄ではいかない関係性へとダイブする。そのダイブは深く、時にシュールだ。キッド・カディ(Kid Cudi)、ジェイ・Z、ニッキー・ミナージュ、リック・ロス(Rick Ross)、ジャスティン・ヴァーノン(Justin Vernon)をはじめとする夢のような豪華な顔ぶれが入れ替わり立ち替わり参加。そうして誇張された自信や脆さ、弱さを通して、誰も予期していなかった不定の場所へと、聴く者すべてを誘うアルバムだ。

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本作は「Gorgeous」「POWER」「All Of The Lights」といった、夢想的な曲で始まり、「Monster」「Runaway」「Blame Game」のようなミニマルでダークな曲へと流れ込む。幅広いアレンジを用いながらシンプルな主張をする、あるいは数少ない手数で多くを行うという点においては、まさに上級レベルの作品だ。しかし、本作を定義づける特徴といえばやはりその〈過剰さ〉だろう。経済的にも、素材も、精神的にも、楽器も、すべてが過剰なのだ。最初は興奮を覚えるが、そのあとにやってくるのは空っぽの結末。本作はまるで、礼拝の場へと歩み出るがごとし。ひとびとの心に残る、圧倒的なカニエ・ウェストという人間に捧げたモニュメントだ。私たちはもう屈服するしかない。(Emma Garland)

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ヤング・サグ(Young Thug)がカルチャー界で注目されるようになったのは2014年。きっかけは「Stoner」や「Danny Glover」をはじめとするシングルや、RICH GANGとしてバードマン(Birdman)、リッチ・ホーミー・クワン(Rich Homie Quan)とともにリリースし、その後5年間のラップサウンドの青写真を示して大きな影響を与えたミックステープ『Tha Tour Pt. 1』だった。そして2015年には、メインストリームでも頭角を現すようになる。しかし、商業リリースされた初のミックステープとなった『Barter 6』に関しては、リリースの数週間前から議論が巻き起こっていた。というのも、もともと本作は、自称「当代最高のラッパー」ことリル・ウェイン(Lil Wayne)のアルバム『Carter V』が、レーベルとの確執で何度も発売延期となっていたにもかかわらず、『Carter 6』というタイトルで発表される予定となっていたからだ。最終的に、ウェインが法的措置に出る、と脅迫したため、ヤング・サグはギリギリのところでタイトルを『Barter 6』に変えた。

「プッシーボーイ お前は死なせておく それを〈献身(dead-ication)〉って呼んでやるよ」(「Can't Tell」)、「俺のアイドルみたいに1億ドル稼ぐ/俺は食べたことも舐めたこともあるかもしれないが 誓ってパクることはないぜ」(「Halftime」)など、ウェインへのジャブと思われる歌詞は2ヶ所あるが、本作はそこまでリル・ウェインに言及しているわけではない。むしろそこには、新鮮な空気が流れている。誰も予想していなかった、ほぼ非の打ちどころのない作品だ。抑制された完璧なピッチ、そして見事な言葉遊びによって、ヤング・サグがただのヤベえ奴ではないということ、彼こそが一流ラッパーのひとりなのだということを示している。「でもマジで 世界中が自分を嫌ってたら何するよ?」とサグは1曲目の「Constantly Hating」で問う。「Lifestyle」などがスマッシュヒットし成功を得た彼だが、当時は少なからずアンチがいた。しかし、彼を疑うことは間違っていると証明し、アンチを蹴散らしたのが『Barter 6』だった。(Leslie Horn)

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ラナ・デル・レイが自らの旗をしっかりと掲げた作品といえば、『Born to Die』(とその特別版〈Paradise Edition〉)だろう。彼女は本作で、米国のミシシズム(mythicism:キリストをはじめとする聖人たちを歴史上の人物ではなく神話の登場人物と解釈する考えかた)のなかへと自らをはめ込みつつ、それをひっくり返した。彼女の代表曲を多数収録した本作では、彼女の世界(リリースから7年経過した今なお、彼女が築き上げようとしている世界)の青写真が提示されている。
ラナのブレイクのきっかけとなったシングル「Video Games」は、心の知能指数が低い男と付き合うことで生ずるフラストレーションという、彼女が現在も歌い続けているテーマを描き、2019年発売の傑作『Norman Fucking Rockwell』の土台ともなった。「Summertime Sadness」は、ストレスで疲弊しきった世代への恍惚たるアンセムであり、これぞラナの美学を象徴する一曲。「National Anthem」では、ラナは自らを米国という国に重ね、こう歌う。「お金こそ私たちが存在する理由/みんな知ってる これが事実/キス キス」

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歌詞では、若い子に貢ぐ〈パパ〉たちや旅仲間へのうっとりするほど辛辣な嘆願、そしてカリフォルニアの教会やブルース・スプリングスティーンへの真剣な言及もある。「Body Electric」の歌い出しはこうだ。「エルヴィスが私のパパ マリリンが私のママ/イエスは私の最高の友だち」
『Born to Die』で私たちは、彼女の「ペプシコーラみたいな味がするプッシー」と彼女の「チェリーパイみたいに見開かれた瞳」を知る(しかしこの歌詞が歌われる「Cola」ではハーヴェイ・ワインスタインの名前が言及されるので、ワインスタインの事件が発覚して以降、彼女のコンサートでは歌われていない)。ラナ・デル・レイはジャズクラブであり、ジュークボックスであり、埠頭であり、ソックホップ(sock hop:十代が参加するダンスパーティ)であり、グランド・オール・オープリー(Grand Ole Opry:ナッシュビルのラジオ局WSMが放送しているカントリーミュージックのライブ番組)であり、ビーチであり、埃っぽい高速道路なのだ。彼女は一度にしてクラシックな米国らしさのあらゆる象徴を体現する。「Ride」で、彼女は公道を走る。「American」で、彼女は自由と自尊心を感じる。名曲「Blue Velvet」のカヴァーで、彼女はボビー・ヴィントン(Bobby Vinton)とデヴィッド・リンチ(David Lynch)のレガシーと自らを結びつける。ラナ・デル・レイは、米国を消費しながら、それを超越しているのだ。(Leah Mandel)

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死は「歌われるためにあるのではない」し、「芸術として昇華するためにあるのではない」。マウント・イアリ(Mount Eerie)ことフィル・エルヴラム(Phil Elverum)は、『A Crow Looked at Me』の1曲目「Real Death」で、このアルバムの根底を揺るがす不条理な詞を歌う。というのも、本作を通して語られるのは、彼の妻ジュヌヴィエーヴ・カストレイ(Geneviève Castrée)が体調を崩し、死に至るまでのストーリーなのだ。その細部にまでわたる描写には心が痛む。使用されている楽器は、1本または2本のアコースティックギターのみ。時折、ジュヌヴィエーヴが亡くなったときに彼女の部屋に残されていたいくつかの楽器が差し挟まれる。言葉は、歌っているというより、彼の口からポロポロとこぼれ落ちる。世界がひっくり返るほどの悲しみの波に乗って、ふたりの親密な時間や、突然の宣告がなだれこむようかのよう。きちんと計画されたり、練習を重ねたサウンドには聴こえないし、実際にそうだったとは思えない。このアルバムは、死に相対して打ちのめされた人間の、取り繕うことのない生々しい記録なのだから。(Colin Joyce)

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テン年代のヒップホップのサブジャンルやトレンドを振り返っていると、次の10年のヒップホップの進化に関する深い見識に基づいた予測や、大胆な賭けをしているアルバムを聴きたくなってくる。この視座に基づくと、2020年代のヒップホップに、バッド・バニー(Bad Bunny)が存在しているのは間違いないだろう。このプエルトリコ出身のラッパーは、ラテントラップ界期待の成り上がり者から、わずか数年で世界的なラップスターとなった。おそらく彼は、英語圏のマーケットでここまで売れた初めてのスペイン語ラッパーだろう。そのきっかけとなったのは、ニッキー・ミナージュがリミックスしたファルコ(Farruko)の「Krippy Kush」だったが、その後、レゲトンシンガーのJ. バルヴィン(J Balvin)とともに参加したカーディ・Bの「I Like It」がスーパーヒットを収め、彼の人気が爆発する。

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それらの抜擢がただの〈幸運〉でなかったことは、彼のデビューフルレングスアルバム『X 100PRE』を聴けばわかる。全編スペイン語のドレイクとのコラボ曲「MIA」がチャートを席巻しているなか、2018年のクリスマスイブにサプライズリリースされた本作は、〈El Conejo Malo(Bad Bunnyのスペイン語表記)〉がウルバーノのスタンダードに留まらない多面的なアーティストであることを証明している。彼はエネルギッシュな「Tenemos Que Hablar」でポップパンクやエモを、そして「La Romana」ではエル・アルファ(El Alfa)をフィーチャーしてドミニカン・デンボー(Dominican dembow)の特徴的なリズムを取り入れた。現在、彼が本作を引っさげて世界中のアリーナをソールドアウトさせている事実を思えば、本作は彼のキャリアのピークではなく、息の長いムーブメントのほんの始まりに過ぎないことは明白だ。(Gary Suarez)

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ジャネット・ジャクソン(Janet Jackson)史上もっとも解放的なアルバム『コントロール』から約30年後、シザ(SZA)は自分と親しい女性たちを出発点とし、〈コントロール〉、すなわち自分で自由にできる力、という同じテーマを探求した。彼女の母親をはじめとする、親族の女家長たちの言葉を散りばめた『Ctrl』が紐解くのは、自分自身の言葉を所有することの真の意味。「Supermodel」で、パリパリと鳴る紙の音に重ねて、彼女の母親の言葉が流れる。「私の最大の恐怖は、もし私がコントロールを失っていたら、あるいはコントロールなんてものをもともともっていなかったら、きっとすべてが…。何というか、私は死んでいたかもってこと」

タイトルの〈Ctrl〉は、パソコンのキーに印字された〈コントロール〉の略字。私たちは本作で、このSNS時代に黒人女性がどのように自尊心と折り合いをつけるかを目の当たりにする。その姿はInstagramという枠にきちんとハマる、整えられたペルソナとは対照的だ。もちろんシザも、自信に満ちていることはある(同時に執念深くもあるのだが)。たとえば、SNSであなたの友達と寝た、と明かし、もう一度同じことをしようとしているときなんかはそうだ。しかし、それは幻想にすぎない。なぜなら他人のフィードに現れる自らの〈顔〉、すなわち自分だと主張する人物と、実際の自分は、ふたりの異なる人物であるからだ。「あなたが本当の私を知ることがありませんように/だって嫌われちゃう」と彼女は「Garden (Say It Like Dat)」で歌う。「Pretty Little Birds」の歌詞のように、「窓を何度か叩く」ことよりも、重要なのは視点だ。「あなたは高いところを恐れない/ぐるぐると落ちていくことだって 空を飛ぶのと同じくらい気持ちいい」。そしてアルバムも終盤に差し掛かると、シザは気づく。〈コントロール〉も、その有無も、どのように捉えるかは彼女次第なのだ、と。(Kristin Corry)

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フィオナ・アップル(Fiona Apple)は、1枚アルバムを出すと、次作までに長い時間をあける。しかし、そこにこそ彼女の意図の明確さや完璧主義が示されているように思われる。2012年の『The Idler Wheel…』の前作となる『Extraordinary Machines』は2005年リリース(これ自体、数年遅れのリリースだった)なので7年もの期間があいたことになるが、『The Idler Wheel…』の1曲目を飾る「Every Single Night」から、彼女のたゆみないクリエイティビティの片鱗が示される。「私の脳のなかの蝶/それらのアイデアが/精神へと滲み出て/脊椎へとしたたり落ちる」。曲中のリフレインで彼女はこう訴える。「私はすべてを感じたいだけ」

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不快な、心をかき乱すような感情を含む〈すべて〉を感じること。それがフィオナの流儀だ。本作でも、何度か不穏な瞬間がやってくる。たとえばジャズ的でループを多用した「Hot Knife」で聴くことのできる、フィオナがのどから声を絞り出している瞬間には、メスで傷をつけるような生々しさのある、むき出しの彼女の姿が立ち現れる。
一筋縄ではいかないパーカッションや、手の温もりが感じられるようなアレンジにより、本作には緊張感のあるエネルギーが付与されている。激しさとカタルシスのあいだのバランスがギリギリでとれているのは、どこか美しいそのエネルギーのおかげだろう。フィオナほど深く、このバランスを表現できるソングライターは、ほとんどいないのではないだろうか。(Josh Terry)

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オーストラリア出身のケヴィン・パーカー(Kevin Parker)がTAME IMPALAとしてリリースした計3枚のアルバムは、それぞれ成功を収めた。2010年のデビューアルバム『Innerspeaker』では、ぼんやりしたサイケデリックロックの構造をただただ魅惑的なものへと転化させ、スタジオにおいて誰の助けも借りない彼の、性急な完璧主義を垣間見せてくれた。2015年の『Currents』では、特徴的なシンセとファンキー寄りのサウンドで、スタジアムも沸かせられるクロスオーバーバンドとしてのTAME IMPALAの実力を示した。そしてリアーナに楽曲がカバーされたり、コーチェラのヘッドライナーという大役も担うまでになった。

しかし、ケヴィンが単なる奇妙なサイケ野郎から、現代のロックミュージックにおいて多大な影響力と世界的人気を誇る人物へと変化を遂げたのは、2枚目となる『Lonerism』でのことだった。デビューアルバムでも印象的だった何重にも重ねられたレイヤー、ペダルボードから繰り出されるクラクラするエフェクトは健在でありながら、彼はそれらのツールをより現代的なコンテキストに当てはめて使用。「Feels Like We Only Go Backwards」などの楽曲はTHE BEATLESやTHE KINKSを想起させるような、ノスタルジーを掻き立てるポップソングでありながら、アレンジは明らかに現代的で、ケヴィンが3枚目のアルバムで追求する電子音楽的な方向性を示唆している。
6分弱の長編「Apocalypse Dreams」で、溶け合うようなシンセとギターに乗せて、ケヴィンはこう歌う。「すべてが変化している/僕にできることは何もない/僕の世界のページはめくられている/だけど僕はここで座ったまま」。このような歌詞が、本作の感動的な瞬間を盛り上げ、この10年のケヴィン・パーカーの音楽への貢献を明らかにしている。すなわち、社会における孤独や不安感に関する個人的な感情を作品にし、普遍的な価値を与えたことだ。(Josh Terry)

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大ヒットを記録した2010年のデビューアルバム『All I Want Is You』に次ぐセカンドアルバム『Kaleidoscope Dream』を制作するミゲル(Miguel)は、人生をバラ色レンズのメガネを通してみるのではなく、タイトル通りまさに〈万華鏡でみる夢〉として、バーに行ったりするような何の変哲もない日常を、複雑な色や柄の集合として見つめた。『All I Want Is You』でのミゲルは〈恋人〉としてのミゲルであったが、それから2年後、アップデートされた彼はより深みをたたえていた。あるときは、ロマンティックでありながら不安定で、またあるときは瞑想的で、しっかり自己認識をしている。

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彼は『Kaleidoscope Dream』で、快楽主義的な存在としての自らの弱みをあえて開示した。私たちの多くが「使われたくない」と望むが、ミゲルは違う。彼は「Use Me」で自制心をかなぐり捨て、自分を守るために造りあげた壁をぶち壊す。「僕を鎮静させて 淫らであまじょっぱい/君の美味しそうな思考にもっていかれるよ」。彼は降伏する。彼のパートナーが彼に対して有する力こそが、彼にとってのごちそうなのだ。「Arch & Point」では力強いギターが官能的に鳴り、歌詞も思わず顔を赤らめてしまうほど扇情的。いっぽう「Where's the Fun in Forever」では時間の意味を問う。そしてアルバム最後の曲「Candles in the Sun」では、人間性というものを徹底的に考察する。今から7年前、つまり〈ブラック・ライブス・マター〉運動やトランプ時代の不安に先行して発売されたアルバムだが、この曲は今の世の中にも通じる。「なあ 俺らは皆 平等に創られてる/そう習った」と彼は歌う。「でも俺らは互いを平等に扱ってない/互いが互いを必要としてる それは事実」。まさに彼のいう通りだ。(Kristin Corry)

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BEACH HOUSEはもう10年以上も、ドリームポップの神聖な王座の間を独占してきた。彼らはLUSHやMAZZY STARをはじめとするこのジャンルの壮大かつドリーミーなサウンドの系譜の後継者として、2006年から音楽を作り続けている。今のBEACH HOUSEの地位を決定づけたのはどの作品だったかという論争は、ファンや評論家のあいだでも未だ決着がついていないが、おそらくもっとも賛成票を集める作品は、2010年の『Teen Dream』だろう。あまりに強く感情をかきたてるので、耳から聴いているのではなく、直接心で感じ取っているかと思ってしまうほどだ。

本作には一貫して、明らかな、耳に心地良いオーラが漂っている。それこそまさにバンドの代名詞であるが、本作ではただ耳に心地良いだけではない、温かみと空間的な広がりも感じさせる。「Lover of Mine」や「Walk in the Park」は、まさに顔に降り注ぐ日光そのもの。楽曲の懐の大きさ、すなわち幅の広さ、深い味わい、立体感、何層にも重ねられたレイヤーは、本作に沁み渡る必然性のようなもの、つまり本作に漂う雰囲気が自然由来のものであることを示唆する。それは1曲目の「Zebra」のイントロで爪弾かれるギターの音から明白だ。ヴィクトリア・ルグラン(Victoria Legrand)の奏でるメロディは実にタイムレスで、いにしえの、文明が発展する前の人間の営みを思わせる。ひとの人生そのもののような〈重み〉は、むせかえるような香水のかおりのように本作に充満している。リリースから10年経った今もなお、『Teen Dream』は示唆に富んだ作品のままだ。(Lauren O'Neill)

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ダニエル・ロパティン(Daniel Lopatin)は、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーとして、あらゆる領域でテン年代のヴィジョンを描いてきた。MIDIを駆使した幅広い楽曲を収めた『R Plus Seven』、ニューメタル要素を取り入れ、地獄のような世界観を描く『Garden of Delete』、クラシックな要素を退廃的に表現する『Age Of』。しかし、2011年にリリースされた『Replica』ほど、私たちを恐怖させた作品はない。
『Replica』は、ゼロ年代後半の眠気を誘うポップシーンと、テン年代のヴェイパーウェイヴ(※1980~90年代の楽曲を中心にサンプリングし、エフェクトを重ねた音楽ジャンル)ムーブメント到来の狭間に、奇怪なモノリスとしてそびえ立ち、廃れていった文化の破片が堆積する迷路へとリスナーを誘う。昔のテレビCMの断片的な音源を取り入れ、催眠作用を起こしそうなシンセラインによって繋ぎ合わされた本作は、これまでのいかなるアンビエントミュージックとも一線を画していた。そのサウンドは、斬新で未来的でありつつも、葬られ、忘れ去られた遥か昔の何かを思い起こさせる。
延々とループし続けるサンプリング音源は、ある瞬間を境に、耳障りなサウンドからまったく新しいリズミカルな子守唄へと変化する。本作が踏み込んでいるのは、車のなかで古いCDが音飛びを起こしたときのような、現実が突然変化する瞬間だ。まるでウィジャボード(※日本の〈こっくりさん〉のような、降霊術に用いられる文字盤)でデジタル時代の亡霊を呼び寄せるように、本作は私たちのチープでプラスチックだらけの歴史を、原形をとどめないほどに変形させた。私たちは、そこに残された虚空を、恐る恐る覗き込むほかない。(Sam Goldner)

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2015年の夏真っ盛り、ラッパーのフューチャー(本名:ネイバディウス・ウィルバーン)が『Dirty Sprite 2』をリリースしたとき、あなたはどこにいただろうか。記憶力が確かなら、きっとその瞬間を覚えているはずだ(あれほどの衝撃作を忘れられるはずがない)。コップのなかで氷とカクテルドラッグをかき混ぜる音から始まる1曲目の「Thought It Was a Drought」で、彼は「Gucciのサンダル履いてるお前の女とヤッたぜ」と豪語する。シーンの中心的存在となったアーティストに再び堕落したイメージを植えつけた(もしくはフューチャーが大好きなコデイン入りカクテルドラッグの名を冠した)アルバムの幕開けとして、これほどふさわしいイメージはないだろう。

2014年、ポップ寄りに路線変更した『Honest』(5年経った今も過小評価されているように思う)で、批評家たちから酷評を浴びせられた彼は、お気に入りの媒体であるミックステープへと回帰した。『Monster』のリリースによって始まった三部作は、『Beast Mode』へと続き、『56 Nights』で幕を閉じる。『56 Nights』で、フューチャーは、彼の代名詞である曇り空を思わせるコデイン漬けサウンドを完成させ、今の私たちが知るフューチャーとなった。『Dirty Sprite 2』は、そんな彼にとっての〈ウィニングラン〉であり、彼がラップ界を代表するイノベーターとして自らを奮い立たせながら探求してきたサウンドを、ひとつに結実させた作品でもあった。

名曲ぞろいのアルバムから代表曲を選ぶのは難しいが、まず挙げるべきはドレイクとのコラボ楽曲「Where Ya At」だろう。本作の約2ヶ月後に、ふたりのコラボアルバム『What A Time To Be Alive』がリリースされた。「Fuck Up Some Commas」では、フューチャーお得意の〈財産自慢〉が始まり、「Stick Talk」では、再生ボタンを押した途端に暴動を起こしたくなる。しかし本作のテーマがもっとも凝縮されているのは「Slave Master」だ。「新しいムチを買った 奴隷の雇い主みたいに/ジップ(※マリファナ1オンス=約28.3グラム)を2回キメたら 気分はだいぶマシになる」と彼は歌う。たしかにドラッグや世俗的なものは、フューチャーの苦痛を一時的に和らげてくれるのかもしれないが、その気分も長くは続かないだろう。それでも彼は、自分自身を麻痺させることで、テン年代を代表するラップナンバーを生み出すことに成功した。(Leslie Horn)

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ケンドリック・ラマーの『To Pimp a Butterfly』ほど、アフリカ系米国人として生きることの不安を作品はないだろう。ラップ、ファンク、ジャズを見事に融合させた本作は、ラマーの人種にまつわる省察のなかにグルーヴを見出したい、という欲望を抱かせる。ホワイトハウス前の芝生で、上裸の黒人男性や子どもたちが笑顔で札束やビール瓶を掲げる、というアルバムジャケットにもメッセージがある。ラマーが描くブラックアメリカが明確に示すのは、彼らの何度でも立ち上がる力だ。

本作には無駄な余白がいっさい存在しない。間奏曲ですら、楽曲と同様、意図的かつ念入りにつくられたものだ。「For Free?」では、ラマーは早口でこうまくし立てる。「おいアメリカ このビッチが/俺は綿を摘んでお前を金持ちにしてやった/もう俺のディックはタダじゃない」。これまでの歴史において、黒人男性が過剰に性的な視線に晒されてきた事実が、鋭いジャブとともに突きつけられる。彼の〈ディックはタダじゃない〉という宣言は、ラマーが自由について熟考する本作で、リスナーに衝撃を与える役割を果たしているわけではない。〈ブラック・ライブス・マター〉運動のアンセムとなった「Alright」では、黒人の解放を描いた名作映画『カラーパープル』の「私は今までずっと闘わなければいけなかった」という台詞を引用し、「King Kunta」では、1976年に出版された、奴隷問題に向き合う長編小説『ルーツ』の主人公クンタ・キンテ(Kunta Kinte)を〈キング・クンタ〉という新たな名前で呼ぶ。

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奴隷とエンタメ産業の繋がりを巧みに描くことで、『To Pimp a Butterfly』は、米国という国と黒人の搾取の関係性を、見事に紐解いている。全16曲の楽曲に共通するテーマは商業、すなわち米国における売買の伝統だ(たとえその〈商品〉が人間だとしても)。「For Free?(タダで?)」や「For Sale(売り出し中)」、「How Much a Dollar Cost?(1ドルの価値は?)」などのタイトルは、ラマー自身が重んじる、創造性と資金のあいだの緊張感を表している。

本作に通底するメッセージは、ラマーが作中で6回繰り返すこのフレーズだ。「お前が葛藤して 影響力を乱用してたことを覚えてる/俺も何度か同じことをやった」。米国で生き延びるためには、搾取の対象にならざるを得ないこともあるのだ、と思わずハッとさせられる。(Kristin Corry)

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リリースから約4年経った今も、リアーナの『ANTI』はテン年代のポップミュージック界の頂点に君臨し続けている。どこかへ踊りにいけば、彼女の忠実なるしもべ、ドレイクとコラボしたダンスホール調の「Work」(リリース直後は、あらゆる場所のスピーカーを席巻していた)であれ、かつてないほどリビドーを赤裸々に歌ったアンセム「Sex With Me」であれ、必ず本作の収録曲を1度は耳にするはずだ。
アルバム1曲目を飾るのは、相手を突き放すようなやや陰鬱なシザとのコラボ曲「Consideration」(シザは、本作の数年後に『Ctrl』をリリースしてさらに活躍の場を広げることになる)。DJマスタード(DJ Mustard)をプロデューサーに迎えた官能的な「Needed Me」。リスナーを驚かせた、TAME IMPALAの「Same Ol' Mistakes」のカヴァー。レトロで情熱的なソウルナンバー「Higher」。『ANTI』のベストソングを決めようとしても、その議論が尽きることはない。リアーナが「プライドなんて捨てればいい」と呼びかける、性と汗の匂いが充満したスロージャム「Kiss It Better」だろうか。わずか72秒の夢想的な「James Joint」が、あと3分長かったらいいのに、と願うファンは無限にいる。「Desperado」は、誰よりも早くカウボーイカルチャーのリバイバルを先取りしていた。
制作に2年を費やし、2012年のリアーナの前作『Unapolagetic』から4年ぶりにリリースされた名曲揃いの本作から、1曲だけ選ぶなんて無理な話だ。他にも、セックスフレンドとの荒っぽい行為を歌う「Yeah, I Said It」、うっとりするほど艶めかしい「Love On The Brain」など、本作には、リアーナの自由奔放さと底なしの欲望が絶えず発揮されている。

自分の価値を知り、本当の意味で自分に見合うひとに愛を捧げること。セックスの相手もやりかたも自由に決めていいし、どれだけハイになっても構わない、ということ。これがリアーナが音楽と公の場での振る舞いを通して、私たちに明示しているポリシーだ。彼女は優しくジョイントを手渡してくれるかもしれないが、結局のところ、リアーナにとっての〈ナンバーワン〉は彼女自身なのだ。「Consideration」で「私は自分のやりかたでやらなくちゃ ダーリン」と彼女は歌うが、だからこそ『ANTI』は、リアーナの最高傑作であるだけでなく、現時点では最後の作品であり続けている。
今年に入ってから、待望のニューアルバムについて何度か言及しているリアーナだが、他の活動でも忙しくしているようだ。今から4年経ったあとも、彼女のブランドFenty Beautyのハイライターを顔に塗り、Fentyのランジェリーを身につける私たちの背後で流れるのは、この『ANTI』かもしれない。でも、もしそうだとしても不満はまったくない。このアルバムのサウンドは完璧なのだから。(Leah Mandel)

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2014年に亡くなる1年前、DJラシャド(DJ Rashad)は、さまざまなインタビューで悲しみについて訊かれていた。彼の遺作となったフルレングスアルバム『Double Cup』のリリース準備を進めていた彼に、インタビュアーたちは、彼がここ数年でシカゴから世界へと広めたフットワークサウンドにさらに磨きをかけた、どこか物悲しい「Feelin’」のような曲の内容にまつわる質問を投げかけた。R&B楽曲のサンプリングは、ずっとフットワークというジャンルに欠かせないものであり、その目的は「悲しいけれど悲しくないもの」に変えることだ、と彼は語っている。

しかし、『Double Cup』での彼のアプローチはこれまでとは異なり、今まで彼が世界に提示してきた音楽よりも粗さが増していた。軽快に響くドラムマシンは、相変わらずどこか曖昧で不規則だが、「Pass That Shit」のような大麻を愉しむのにぴったりなパーティナンバーですら、そのサウンドはノイズが多くスローなものになり、リリックの内容(「火をつけろ クソ野郎」)からは考えられないくらいエモーショナルだ。大半のトラックは難解で、何かを必死に求めているよう。特に「Only One」では、ケース(Case)とメアリー・J・ブライジ(Mary Jane Blige)の歌声がゆがめられ、「僕らの愛が本物だってわかるだろ」という絶望的で不気味な訴えをつくりだしている。フットワークは今までもそれなりにバラードを活用してきたが、DJラシャドは本作でバラードを最大限に取り入れ、ただヒット曲を作るのではなく、感情と深みを表現することを最優先した。

しかし、フットワークらしい名曲がないわけではない。このジャンルのよりエモーショナルな面を掘り下げつつ、DJラシャドはそれを新たな方向へと押し進め、ジャングルやアシッドなど他のエネルギッシュなダンスミュージックにも通じるような、非常にアップテンポなサウンドのDNAを強調した。そして何よりも重要なのは、本作がフットワークの変化を捉え、フットワークはかつて自らを支配していた既存のルールや型に囚われる必要はない、と証明したことだ。彼の亡き後も、弟子であるDJテイ(DJ Taye)やDJアール(DJ Earl)は、ラップや実験的なエレクトリックミュージックの要素をより顕著に取り入れ、フットワークというジャンルを表立って牽引してきた。『Double Cup』は、大胆で斬新な未来への第一歩だった。DJラシャド自身がそれを目撃できないことが残念でならない。(Colin Joyce)

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2016年以前、レモネードはただのジュースだった。郊外の子どもたちの起業家精神を刺激し、ポケットの小銭で買えるくらいの低価格で売られていた。しかし、ビヨンセが2ndアルバム『Lemonade』を、HBOでの65分間の映像とともにサプライズリリースしたとき、このジュースは突然、おしゃれな飲み物になった。これこそが〈ビヨンセ効果〉だ

このヴィジュアル・アルバムの映像には、ジェイ・Zの90歳の祖母ハッティ・ホワイト(Hattie White)の誕生日のスピーチが使われている。ハッティは、ビヨンセが米国南部における黒人女性に関する論文を執筆するきっかけとなった人物だ。「人生には上り坂も下り坂もあったけど、私はいつも自分のなかに力を見出し、自分の力で進んできた」とハッティは明言する。「私に与えられたのはレモンだったけど、それでレモネードをつくったの」。彼女のいうレモネードは、25セントで買えるレモネードとは違う。それは彼女が自らの笑顔や、自分に自信を抱かせてくれる源になるものと引き換えに得たものだ。レモネードは、彼女が一度も自分から求めたことのない材料でつくりあげた、苦くて甘い〈作品〉だった。ビヨンセの今までになくパーソナルなこのアルバムも、ハッティのレモネードと同じで、リスナーにほろ苦い後味を残す。

20年に及ぶキャリアのなかで初めてビヨンセが掘り下げた〈フレーバー〉は、嘘偽りのない彼女の姿だ。決して動じることのない普段のビヨンセは、この酸っぱい『Lemonade』には登場しない。「Hold Up」で、彼女は自分には価値がないと感じる、と吐露したかと思えば、続く「Don't Hurt Yourself」では、傲慢なまでの自信をみせる。本作を通して、ビヨンセは現代の女性の言葉で語り、「男はいらない」と告げ、中指を立て、今が2010年であるかのように、ソウルジャ・ボーイ・テレム(Soulja Boy Tell’em)の「Turn My Swag On」のリリックを引用する。

クイーン〉の友だちになったらどんな感じなんだろう、と考えていた私たちに、本作はその答えを与えてくれた。ビヨンセだって私たちと同じように泣き喚いたり、傲慢になったりするのだ。アルバムを聴き終わる頃には、彼女は私たちみんなの友人になっている。友人の失恋にちょっと熱が入り過ぎても、最後には許してくれる、そんなどこにでもいる存在に。(Kristin Corry)

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米テキサス州では「何もかもが大きい」という。POWER TRIPは、それを2017年の『Nightmare Logic』で攻撃的に立証してみせた。ダラスを拠点とするこのクロスオーバー・スラッシュバンドが登場する前、スラッシュシーンは、兄のEXODUSのバンパーステッカーとともにどこかへ消えてしまった、面白いだがもはや賞味期限切れのジャンルだった(カーダシアン家のケンダル・ジェンナーが約4万円相当のビンテージのバンドTシャツを着るなど、SLAYERのレガシーすらも危うくなっていた)。しかしPOWER TRIPは、スラッシュへのノスタルジーを巧みに操り、新鮮なメタルを聴かせることで、ただMETALLICAの『Ride the Lightning』やEXODUSの『Bonded by Blood』といった絶対的な名盤を褒め称えるだけでなく、そこに改良を重ねることも可能なのだと証明した。未来を創るためには、過去を振り返らなければならない。『Nightmare Logic』の「If Not Us Then Who」を聴いたリスナーは、「立ち上がり、洞穴を出て火のなかへ飛び込む」よう駆り立てられるはずだ。

このバンドは、2000年初頭のハードコアの焼け跡のなかから立ち上がった。当時のパンクシーンは、攻撃的な男性性から脱却し、善良でクリーンな娯楽に変えようというポジティブな考え、すなわち壁を殴って穴を開けるのではなく、サークルピットに飛び込もう、という申し分のないアイデアを採用したかに思えた。しかし時が経つにつれ、ハードコアは時代遅れになるだけでなく、かつてハードコアそのものが反旗を翻したはずの、体制順応的な価値観と同じくらい有害なジャンルになっていった。確かに、興奮した白人男性たちにとって、〈誠実さ〉やら〈ハート〉やらとのたまい自己満足に浸るのは気持ちが良かっただろうが、ヘヴィミュージックはもっとスマートになるべきではないのか? そのためには何が必要なのだろう?

『Nightmare Logic』は、トランプ大統領の就任式から1ヶ月も経たないうちにリリースされた。当時の米国は壊滅的な混乱と不安の最中にあり、それは壊れた消火ホースから撒き散らされるように、留まるところを知らなかった。アルバムを楽しむために、必ずしもバンドの政治思想に賛同する必要はないが、本作はPOWER TRIPが描くディストピア像を反映している。彼らは「クソみたいなセクシスト、ホモフォビア、レイシスト、イスラムフォビア」を忌み嫌い、女性ヴォーカルを前面に出したパワーポップバンドSHEER MAGとの共演を、他のデスメタルバンドと同様に快く引き受け、ヴォーカルのライリー・ゲイル(Riley Gale)は、「これは白人の男たちが楽しんで偏見まみれのアホになるようなバンドじゃない」と明言している。しかし、だからといって彼らの攻撃性に妥協は一切ない。『Nightmare Logic』の〈第一声〉は声ではなく、しわがれた咆哮から始まる。リスナーがこれからトマホーク(※北ア米のインディアンが使う斧)のようなギターリフにはらわたを引きずり出され、八つ裂きにされることを告げる合図だ。それを耳にしたら、私たちは彼らの世界にステージダイブするほかない。

POWER TRIPは、ギャングスタ的なヴォーカル、2拍子のブレイクダウンなど、ハードコアのモッシュピット的な感覚に、スラッシュメタルのよりスピーディでテクニカルな要素を掛け合わせ、衝撃とともに幅広い層に訴えかける、巨大で、恐ろしい、完璧な赤ん坊を生み出した(なかでも「Executioner's Tax (Swing of the Ax)」の牽引力は、FOXニュースで取り上げられたほど。進歩的なバンドを謳っている彼らとしては遺憾だったらしいが)。本作をテン年代にとどまらず、メタルのオールタイムベストたらしめたのは、彼らの痛烈な権力批判だけでなく、現代の漠然とした不安に訴えかける類まれな能力なのだ。

本作のタイトルトラックで、「理性の停滞がすべての悪魔を生み出す/新たな闘いが始まる」とゲイルが吠えるのを聴くと、現代の文化と政治によって、いかにこの時代の論理が破綻し、悪夢が現実に蔓延しているかを思わずにはいられない。西欧文明の衰退が叫ばれるなか、POWER TRIPは、私たちが「ゲームのルールを書き換え」なければいけない、と歌う。今こそ、火をもって火を制するときだ。(Hilary Pollack)

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フランク・オーシャンは、直接的ではなくはぐらかすような手法、真っ向から向き合うのではなく遠回しな切り口を好む。たとえば、2016年8月19日にリリースされたヴィジュアル・アルバム『Endless』は、彼の待望のニューアルバムかと思われたが、その翌日、別の独立したアルバム『Blonde』がリリースされた。さらに、本作の1曲目を飾る「Nikes」も、いわば変態的なトラックだ。この曲では、彼の加工されていない歌声は、曲が3分を過ぎるまで聴くことができない。振り返ってみると、2012年にリリースされた『Channel Orange』では、リリックの大半が、親になったばかりのカップル、依存症患者、買春客など、オーシャンではない〈キャラクター〉について歌っていた。今年9月に公開された『W Magazine』のインタビューで、「どちらかといえば嘘に興味がある」と彼は語り、「それは嘘ではなくてファンタジーでは?」というインタビュアーの質問にも、煮え切らない答えを返す。オーシャンによれば「そのふたつは同じもの」らしい。

それでも私たちは、アート作品を読み取るさい、そこにアーティストの人となりの手がかりを求めずにはいられない。たしかに『Blonde』は、オーシャンの過去作『Nostalgia』『Ultra』『Channel Orange』などと比べれば、ずっと自伝的なアルバムのようにみえる(シンプルながらストーリーテリングに優れた傑作「Good Guy」や、「Nights」の最後の一節「クソみたいな毎日だ」など)。しかし、『Blonde』はパーソナルに感じられるとはいえ、やはり作者の人生をすべて明かしてはいない。「Solo」の「骨がみっちりと詰まってる感じ」というリリックは、言い回しとしては不自然だが、力強さと自信がはっきりと伝わってくる。本作にはこのようなリリックが散りばめられていて、詞に真実味を持たせるために、その日その時の出来事を正確に描く必要はない、心に忠実でさえあればそれでいい、ということを思い出させてくれる。

『Blonde』のテーマは、年を重ねること、ちぐはぐな欲望、孤独、自分自身と自らの過去を知ると同時に未来に思いを馳せることだ。比較的ストレートな収録曲も、それと相反するかのように、メロディは不穏さを秘めている。「Ivy」は、曲の構成や鳴り響くギターリフに関していえば、これまでのオーシャンらしい1曲だが、ヴォーカルの急激な変化、意図的な演出がリスナーを狂気へと誘う。そこで歌われる感情は制御できないほど強烈で、自らを封じ込めようとするコーラスから必死に逃れようと、身もだえしているかのようだ。

本作でもっとも激しいトラック「Solo (Reprise)」は、アンドレ3000(Andre 3000)が手がけている。彼の荒れ果てた40代に基づくこの曲は、〈中年の危機〉のように本作を真っ二つに引き裂いている。本作の後半では、さらに不安定さが増していく。オーシャンが「Nights」で歌う「涅槃」までの旅は、決して順調でも平坦でもない。「Pretty Sweet」では、ストリングスの不協和音がフェードアウトしたあと、「こちら側で生きるとはどういうことか」と彼は歌う。〈こちら側〉とは、いったいどこを指しているのだろう。「Seigfried」で描かれるような「ふたりの子どもとプール」のある未来だろうか? それとも、「Futura Free」で歌われるジェイ・Zとのメールのやりとり、自分の価値を知って行動すること、グループセックスの最中に眠りかけたことのような、とりとめのないものを指しているのだろうか?

本作は、幼い頃の記憶、初めて話した言葉、超能力などについて語る若者たちの会話で幕を閉じる。まるでラリー・クラーク(Larry Clark)とハーモニー・コリン(Harmony Korine)のコラボレーションから、下品さを引いたような1曲だ。編集によって繋ぎ合わされているこれらの会話は、どこか現実離れしていて、正確に流れを追うことも、確信を持って誰かの答えと質問を結びつけるのも難しい。「外に出て、やってみようと思ったことを何でもやってみる」とある青年は明言する。目新しいものや自由に対する彼の信念は、すぐに失われてしまうのかもしれない。しかし今のところは、この青年は生きていて、彼にしか見えない道を突き進んでいる。彼の人生は、まだ彼にとっての〈ファンタジー〉なのだ。(Ross Scarano)

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公明正大な世界でなら、リッチ・ホーミー・クアン(Rich Homie Quan)はヤング・サグと同じようなキャリアを築いていただろう(とはいえ、突飛さはなく、もっとわかりやすく、ヘビもずっと少なめだったはずだが)。2014年9月、ふたりはRICH GANGとして『Rich Gang: Tha Tour Pt. 1』をリリースし、彼らはそれぞれスターダムへの階段を駆け上がった。しかし冷酷にも、ヤング・サグが手に入れた名声はクアンの手をすり抜け、そして、彼はサグに遅れを取ることになった。

健康問題や何度かの違法行為などのゴタゴタのため、『Rich Gang: Tha Tour Pt. 1』のリリース後わずか数年で、クアンはテン年代を代表するラップアルバムをリリースしたことで得た勢いをすべて失った。2017年、『Back to the Basics』で再び成功を収めるが、その頃にはサグの成功はまた一段階高いところへと到達していた。それから2年、しばしば立つ『Tha Tour Pt. 2』についてのうわさはすべて否定されてきた。それでも私たちの手には『Tha Tour Pt. 1』があるのだから幸運だと思おう。

本作は数々のラッパーの父親的存在として君臨するバードマンが監修し、彼が創設したCash Money Recordsからリリースされた。卓越したクリエイティビティを有するふたりが、ひとつの明確なコンセプトに沿って作品をつくったらこうなる、という最高の例だ。サグとクアンは実に息ぴったりで、それぞれの個性的なスタイルを補完し合いながら、アルバムをシームレスに繋いでいる。ジージー(Jeezy)にインスパイアされたような、2000年代半ば風のアトランタビートをフィーチャーしていると思えば、ヘヴィなエアーホーン、胸に響くビート、そして特にナンセンスなサグのヴォーカルパフォーマンスが鮮烈な印象を残す。「Tell Em」は一発でノックアウトさせる大名曲で、今やクラシックとなったサグのライン「プッシーを引き寄せて舐めてディップする」が登場。本当に捨て曲がなく、いちばん好きな曲だってひとによってまったく違うだろう。また、曲によってサグとクアンどちらが目立つかも変わる。ある曲ではクアンの独擅場だが、次の曲ではサグのフローがパワフルすぎてクアンの存在を忘れてしまう。2014年当時、バードマンとのコラボは実に貴重だったが、彼の歌割りはほぼアドリブで決めたという。

デラックス版だと20曲、計80分以上のボリュームだが、商業リリースされたミックステープとしては珍しく、内容を埋めるための曲はほとんどない。デビュー間もないふたりのパフォーマーの最高にパワフルなパフォーマンスが収められている。ここまで太っ腹に曲を収録したのは、どれかを未収録にすればリスナーに対する侮辱となってしまうからだったのかもしれない。

本作は歴史に残る傑作ラップアルバムであり、2014年のリリース当時同様、2019年の今でもやはり革新的に聴こえる。まるでタイムカプセルのようだ。ふたりのアーティストが各人の個性的なスタイルを力強く主張しながらひとつに融け合う、一時代に一度の奇跡だった。ヤング・サグとリッチ・ホーミー・クアンは進化し続けている。ラップも同様だ。(Will Schube)

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2013年10月。ソランジュ・ノウルズ(Solange Knowles)は身体を揺らしながらマイクをもち、空いているほうの手をぶらぶらと揺らして歌っていた。その歌唱の断片は、のちに「Don't Wait」という楽曲へと結実する。彼女が27歳になる数ヶ月前のことだった。のちに彼女が公開したドキュメンタリーでみられるとおり、当時、彼女はロングアイランドのスタジオで、話題をかっさらうこととなるアルバム『A Seat at the Table』の枠組みやメロディ作りに取り組んでいた。本作は、多くの黒人女性にとってのマントラ、癒しのための手段となった。本作に収録された21曲は、黒人に対する〈自覚なき差別〉が与える負担を、温かみのあるドラムに乗せて、あるいはファルセットを重ねたハーモニーによって伝える。そのメッセージを、初めて聴いたというひともいるだろう。しかし本作は悲惨な現状を歌う作品ではない。ソランジュは本作で、先人からの遺産、苦悩、怒り、そしていちばん大事な、〈希望〉を記録したのだ

『A Seat at the Table』は、私たちに必要だった。ソランジュが本作の制作に費やした4年のあいだに、ニュースはありえないほどの速度で流れていった。ブラック・ライブス・マター運動がトレイボン・マーティンとマイケル・ブラウンの射殺事件を発端として発展していくなかで、彼女は、警察、自警団、白人至上主義者たちの手により殺されていく非武装の黒人たちの物語と向き合った。2016年9月30日、すなわちドナルド・トランプが米国大統領選で勝利するほんの5週間と数日前に、ついに本作はリリースされた。

『A Seat at the Table』は黒人米国人全体のトラウマを明確に突くというより、彼女の両親やコミュニティへのオマージュと読み取れるが、それでもソランジュは、あからさまに政治的な本作をリリースするリスクも理解していた。「怖くなったり、このアルバムが前作とは全然違うと思ったりしたときは、米国で命を奪われたり、自由を奪われたりした黒人の若者の物語を見たり、聞いたりした」とソランジュは母親ティナ・ローソン(Tina Lawson)とジャーナリストのジャドニック・メイヤード(Judnick Mayard)との鼎談で語った。「それが私の原動力になって、もう一度曲を見直したり練り直したりした。もっと深くまで突っ込んでいい、議論が生まれることを恐れなくていい、って」

すでに語られていることではあるが、やはり本作に影響を与えたあの決定的な出来事については、ここでも振り返るべきだろう。なんといっても、本作のような先進的なアートが、〈黒人女性であること〉にまつわる議論をいかに前進させられるかを示す好例だ。それは2013年1月のこと。ソランジュのファンベースの話題において、『New York Times』の音楽評論家ジョン・カラマニカ(Jon Caramanica)が、ソランジュは「自分が飼い主の手を噛んでいる」ことを気にしたほうがいい、と指摘した。ソランジュによれば、後日カラマニカから謝罪があったそうだが、そのコメントは彼女のなかにずっと留まり、それが「Don't Wait」のベースとなった。「今は 私に裏側をみせてくれる手は噛まない/でも あなたの一生を支えるための国土を建てたくもなかった/面白いと思わない?」

このアルバムはBillboard Hot 100で1位に輝いただけではなく、書籍やアートのインスピレーション源大学のシラバスのテーマとなった。ソランジュの苦悩は、少しではあるが報われたようにも思える。今や私たちは、彼女が発表したような省察に、評論家はもっと寄り添ったアプローチをするべきだと思うようになった。6年前の前述のドキュメンタリー映像は、キャリアにおける大きな一歩を踏み出そうとしているひとりの女性の姿を映しているが、映像のなかの彼女は帽子を目深にかぶっている。私たちが注目すべきは、その音楽だけだ。(Tshepo Mokoena)

This article originally appeared on VICE US.