「パン屋になりたいという気持ちよりも、みんなが集うこの場所を守りたい一心で、この場所で自分に何ができるかをずっと考えていました」

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踏ん張ることが得意な〈女性〉

「パン屋になりたいという気持ちよりも、みんなが集うこの場所を守りたい一心で、この場所で自分に何ができるかをずっと考えていました」

女性の社会的地位、格差についての議論が増えるのと同時に、〈女性が働きやすい職場〉〈女性が輝ける社会〉〈女性がつくる未来〉を目指し、女性を応援する制度や価値観を生みだそうとする動きが社会全体に広がっている。だが、ここでいう〈女性〉とは、果たしてどんな女性なのか。女性に関する問題について真剣に考えている女性、考えていない女性、そんなのどうでもいい女性、それどころじゃない女性、自分にとって都合のいい現状にただあぐらをかいている女性。世の中にはいろんな女性がいるのに、〈女性〉とひとくくりにされたまま、「女性はこうあるべきだ」「女性ガンバレ」と応援されてもピンとこない。

「いろんな女性がいるんだから、〈女性〉とひとくくりにしないでください!」と社会に主張する気は全くないし、そんなことを訴えても何にもならない。それよりも、まず、当事者である私たち女性ひとりひとりが「私にとって〈女性〉とは何なのか」本人独自の考えを持つべきではないのか。女性が100人いたら、100通りの答えを知りたい。

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ユカ

「〈女性〉とは」と考えたことはありますか?

どちらかといえば、考えていないのほうが近いかもしれません。でも、ある病気がきっかけで、なんだかんだ私は女性だったんだな、と気がつきました。

どのような病気ですか?

仕事中、いきなり立っていられなくなるほど体調が悪くなりました。病院での検査の結果、子宮筋腫があることが判明したんです。貧血を治すためにピルを服用する生活を2年ほど続けていたのですが、ピルを服用しても出血が止まらないことが多くなり、仕事終わりに意識が朦朧としてしまったりと、体調もどんどん悪くなりました。もう検査するのも怖いし、仕事も休みたくなくて、病院にいかなくなったんです。

お仕事は休みが取りづらい仕事なんでしょうか?

個人店を経営しているので、本当は休みも自由なはずなんですが、店を経営する以上、自分がベストな状態で店を開け続けるのが私のなかでは当たり前なので、突然店を休むというのは自分の選択肢のなかにないんです。でも、無理をする私の様子を見かねた友人たちから病院に行けと怒られまして。薬も切れる頃だったので、改めて病院で検査をすると、子宮が筋腫でいっぱいな状態で、このままだと全摘だろうと告げられました。「子宮がかわいそう」だとお医者さんにいわれたとき初めて、何てことをしてしまったんだろう、子宮さんごめんなさい、とすごく悔しい気持ちになりました。今まで普通の女の子としては育てられてこなかったし、性別について深く考えたことはなかった私でしたけど、身体の不調が病気として子宮に現れてしまったことで、なんだかんだ私は女性だな、と改めて実感したかもしれないです。

「普通の女の子として」ではなく、どのように育てられたんですか?

まだ私が産まれる前、近所に住む自称占い師に「お腹のなかの子どもは絶対男の子だ」と断言され、家族はみんな男の子が産まれてくると信じていたんです。そのせいか、父は幼い私を「女みたいなことをいうな」「人前で泣くな」と育てました。女の子らしいことはさせてもらえず、髪の毛を伸ばすのも、スカートを履くことも禁止だったんです。

〈男の子〉として育てられたんですね。

そうなのかな。でも比べる対象がなかったので、スカートを履いたことがないことも、ベージュや茶色系の服しか着たことがないのも、変だとは感じていませんでした。保育園に通うようになり、私は名前のあとに「ちゃん」をつけて呼ばれるのに、服や髪型は「くん」をつけられる子たちと同じなのは何故だろう、と不思議に感じたのを覚えています。髪の毛を結わえてみたい、スカートを履いてみたい、女の子として認識してもらいたい気持ちが芽生えたのはそのときだったのかもしれません。

スカートを履けるようになったのはいつですか?

小学生になり、どうしてもスカートを履きたいと父にお願いして、やっとデニムのスカートを1枚買ってもらいました。「スカートなんて履いてたら、かけっこで負けるぞ」と父にいわれて「大丈夫、スカートを履いてても絶対に勝つから」と答えたのに、リレーの選手を決めるかけっこでスカートを履いて走ったら、転んでしまったんですよね。それがものすごく悔しくて、自らスカートを絶ちました。

ものすごく負けず嫌いですね。当時は、自分の性別をどう捉えていましたか?

当時は男の子に間違えられることが本当に多くて、それがすごく嫌でした。あるとき、パトカーに乗った警官から「そこのボク」と声をかけらたんです。スピーカー越しに声をかけられたので、周りのひと全員が私のほうを振り返りました。それがすごく恥ずかしかったというか、居場所がなくて。同級生の男の子に「男みたいだな」とからかわれることもしょっちゅうでしたけど、冗談だと受け止められるほど私もできあがっていなかったので、そのたびに傷つきました。

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お父さんに逆らって、服装や見た目を女の子らしくしようとはしなかったんですか?

それはないですね。ずっと男の子扱いされてきたので、女の子らしくするのが逆に恥ずかしくなってしまって。でも大人になってから気づいたのですが、当時は金髪ロン毛ハイヒールの〈THE・女〉というような女性の落書きばかり描いているんです。そういう女性への憧れはあったのかもしれないです。

では、好きなひとができたり恋愛をし始めたのは遅かったんですか?

それが、そこはマセていたんですよ(笑)。小学生の頃から付き合っているというか、両想いの男の子はいました。父から男の子扱いを受けてきたので、女の子扱いされるのが新鮮だったのかもしれません。中学生のときに付き合っていた相手が都内の高校に進学すると知り、自分も都内の高校に進学しようと決めたくらい、若い頃は恋愛優先でした。

高校に進学してからはどんな学校生活を送りましたか?

高校時代はとにかくバレーボール漬けの日々でした。頭のなかは恋愛でいっぱいでしたけど、テスト期間中もひたすら部活でしたし、文化祭当日も他の学校を借りて練習して。わりかし強豪だったので、指導も厳しく、殴られることもしょっちゅうでした。練習試合で男子バレー部に1点でも取られた日には、もう大変でしたね。

性別を理由に負けることは許されない世界だったんですね。そんなに厳しい部活を続けられたのはなぜですか?

私、昔から踏ん張ることは得意なんです。兄弟もいなくて、対話する相手がずっと自分だったし、「弱音を吐くな」と毎日父からいわれて育った影響で、すべて〈誰かのせい〉ではなく〈自分のせい〉でしかなくて。誰かと競ったり、誰かに勝ちたいという気持ちではなく、常に自分のほうを向いてきたから、踏ん張って我慢する習慣がついてしまったのかもしれません。

部活は1日も休まず、皆勤賞だったんですか?

部活は休んだことはないのですが、1度だけ授業を休んで部活だけ出たときがありました。高校3年生のとき、大切な試合が控えている練習中に監督から「帰れ」と怒られたんです。帰るわけにもいかず、監督の後を追いかけているときに自分の汗で滑って転びました。

小学校のかけっこに続き、ここでもまた転んでしまったんですね。

転んだ瞬間、脚に痛みを感じましたが、我慢して監督に無視されながらも後ろをついてまわったんです。すると、ちょうど監督に電話がかかってきて、監督が席をはずしました。すかさず、一部始終をみていたマネージャーが飛んできて、私を体育倉庫まで引きずって運んでくれたんです。私は転んだ拍子に靭帯を痛めてしまっていて、靴下を脱いだら紫色に腫れ上がっていました。

子宮筋腫のときも友人に助けられていますよね。このときも、マネージャーに助けられたんですね。すぐに病院に行ったんですか?

私はどうしても、その大切な試合に出たかったんです。ここで監督に怪我を知られてしまうと、もうユニフォームは着れないじゃないですか。なんとしても出なくてはいけない試合だったので、翌日、監督に内緒で初めて授業を休んで、整体で施術をしてもらいました。当分は松葉杖がないと歩けないよ、といわれましたけど、なんとかその日の部活には戻って練習は続けて、大切な試合でユニフォームを着ることができたんです。

その根性はどこからくるんですか? なぜそんなに強くいられるんでしょうか。

全然強くないんですよ。私にはできないことだらけで、すごく弱いんです。でもそういう自分をだんだん理解して、いい意味で諦められたというか。20歳くらいまでは、まだ完全に自分のことを受け入れられてはいませんでした。

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なにかきっかけがあって、弱い自分を受け入れられるようになったんですか?

大人になるにつれて徐々にな気もしますし、ひとつのきっかけとしては、高校からずっと付き合っていたひとと別れたのが大きかったのかもしれないです。別れるときに「君は強いから、一生独りで大丈夫」と彼にいわれたんですよね。当時は相当ショックだったし、それまで恋愛のことばかり考えて生きてきた私が初めて孤独を知ったタイミングでもありましたけど、あのとき彼にそういわれてなかったら、今私は店も出していなかっただろうし、なにかに一生懸命打ち込むこともなかった気がします。あのとき彼が突き放してくれたからこそ、私は弱さを受け入れたうえで強くなれたんじゃないかな。

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パン屋さんになると決めたのはいつですか?

きっかけは〈パン屋をやりたい〉ではなく〈この場所を守りたい〉でした。この場所は、祖父、そして父が個人店を営んできた店で、いつもみんなが集まる場所でした。パン屋になりたいという気持ちよりも、みんなが集うこの場所を守りたい一心で、この場所で自分に何ができるかをずっと考えていました。

この場所で何をするかを考えたとき、パン屋を選んだのはなぜですか?

実は、短大生の頃にたまたま始めたバイトがパン屋だっただけで、私はあまりパンが好きではなかったんです。しかも、紅茶を美味しく淹れられるようになりたくて紅茶屋さんのバイトに応募したつもりが、面接で「うち、パン屋だよ」と聞かされて(笑)。その受け答えが面白かったのか、なぜか採用され、パン屋で働き始めました。勘違いから始まったバイトでしたが、パン屋は体力仕事で、踏ん張る力が必要とされる場面もあり、そしてなにより、パンはちゃんとつくれば美味しいんだと知りました。たまたま選んだパン屋というお仕事が、私にも、この場所にもぴったりだったので、そこからはもうひたすら突き進むだけでした。

女性がひとりで商売を始めるのは、大変ではありませんでしたか?

店の改装のために工務店のひととやりとりをするときに、意地悪はいわれましたね。笑いながら「女の子なんだからもっと可愛げのある仕事の仕方しなよ」とか「女の子なんだからヘコヘコしてればお金出してもらえるでしょ」とか。でも、そういう目でみられることも、ふざけてると思われることも絶対にあるけど、自分がつくりたいモノがしっかりしていれば大丈夫だから、と修業先で聞かされていたので、気持ちが揺らぐことはありませんでした。お客さんにとっては、店を運営しているのが女性か男性かなんて関係ないので、そこは甘えてはいけないし、強くいようと。私のお店が好きで来てくれるお客さんのために、店を毎日良い状態で営業していきたいんです。

だから子宮筋腫のときも無理してしまったんですね。

店を休むことになってしまったら、休まざるを得ない状況をつくってしまった自分の責任だと、やっぱり考えてしまうんですよね。自分が女性だからかどうかはわかりませんが、体調や精神面を整えて、いつでもフラットな状態で仕事に向き合いたいんです。

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あなたにとって〈女性〉とはなんですか?

なんなんでしょうね。女性は結局弱いというか、私が嫌いな弱さがある生き物な気がするんですよね。周囲や社会から応援されるように仕向ける言動ができる〈上手い女性〉に限って、男性はこうでなくちゃ、男性なんだから、と平気でいってしまうずるさがある気がする。私はそうやって男性だから、女性だからと決めつけた見方をするひとが好きじゃないし「何かのせいにする前に踏ん張れや」と思ってしまうんです。自分が踏ん張れば解決できる問題なら得意だから。

私の周りには男性女性関係なく、尊敬できるひとたちがたくさんいて、男性、女性という見方で彼らと接していないので、自分にとって〈女性〉って、あまり意味がないというか、ただの〈言葉〉としか捉えられないです。意味を一生探し続ける、答えのない問題なのかもしれません。きっと死ぬ間際にも「私にとって女性とは何だったのだろう」と考えているんだろうなと。人生なんて後悔だらけだろうし、私なんて毎日失敗ばかりですけど、失敗だけでは終わらせないと決めているんです。自分で自分が〈強い〉と思えたことはいちどもないけど、もしこれが〈強さ〉なんだとしたら、好きだと思えるひとや場所、モノが変わらずそばにあるだけで、私はこれからも十分強くいられます。