自然療法は、自然の力を利用した治療法です。でも私は、自然療法は何かを治すことだとは考えていないんです。

FYI.

This story is over 5 years old.

自然療法を通して自分を研究する女性

自然療法は、自然の力を利用した治療法です。でも私は、自然療法は何かを治すことだとは考えていないんです。

女性の社会的地位、格差についての議論が増えるのと同時に、〈女性が働きやすい職場〉〈女性が輝ける社会〉〈女性がつくる未来〉を目指し、女性を応援する制度や価値観を生みだそうとする動きが社会全体に広がっている。だが、ここでいう〈女性〉とは、果たしてどんな女性なのか。女性に関する問題について真剣に考えている女性、考えていない女性、そんなのどうでもいい女性、それどころじゃない女性、自分にとって都合のいい現状にただあぐらをかいている女性。世の中にはいろんな女性がいるのに、〈女性〉とひとくくりにされたまま、「女性はこうあるべきだ」「女性ガンバレ」と応援されてもピンとこない。

「いろんな女性がいるんだから、〈女性〉とひとくくりにしないでください!」と社会に主張する気は全くないし、そんなことを訴えても何にもならない。それよりも、まず、当事者である私たち女性ひとりひとりが「私にとって〈女性〉とは何なのか」本人独自の考えを持つべきではないのか。女性が100人いたら、100通りの答えを知りたい。

Advertisement
1546931564735-IMG_6027_r

堀岡朋子(35)

「女性とは」と考えたことはありますか?

そこまで考えるタイプではなかったのですが、祖母と同居するようになってから、〈女性〉としてどう生きるかを考えるようになりました。

お祖母さんのどのような部分をみてそう感じたんですか?

祖母と同居するようになり、祖母は昔ながらの生活を大切にして、丁寧に暮らしているということに気がついたんです。実は、同居前までは祖母のことが苦手でした。私は小さい頃からすごく活発な子どもで、祖母は「あれはしちゃダメ」「これもダメ」と押さえつけるタイプだったので、すごく窮屈に感じていたんです。でも同居をしてみて、自分のなかで〈女性の安定〉と〈家庭の安定〉が繋がったというか。女性が安定していれば家庭が安定して、各家庭が安定していれば世界中が平和になるのではないかな、と(笑)。それは広がりすぎかもしれないですけど、祖母のような生きかたっていいな、〈女性〉についてもっと知りたいな、と考えるようになりました。

女性のどんなことについて知ろうと考えたんですか?

当時、私は地元の広島で整形外科のリハビリを担当していました。身体をどのように使って生活すればいいかアドバイスしたり、鍼灸を施したりする仕事だったので、自然と〈女性の身体〉に興味が湧いたんです。そんなとき、たまたま本屋でみつけた本が私の人生を変えましたね。

どんな本だったんですか?

その本では、月経周期などの身体のリズムに合った、女性の食生活や過ごしかたを提唱していたんです。自分の興味が女性の身体に向いていたということもありますが、単純にそのメソッドが面白いと感じたのと、自分のなかですごく納得できたんですよね。咄嗟に本の著者名をメモして、家に帰って調べると、著者はアロマテラピー界でも有名な女性で、東京で自然療法の学校を運営されていたので、その先生のもとで自然療法を学ぶことを決めました。

〈自然療法〉とは何を治すためのどんな治療なんですか?

自然療法は、自然の力を利用した治療法です。でも私は、自然療法は何かを治すことだとは考えていないんです。いちばん大切なのは、痛みを取り除くことではなく〈気づく〉ことだと、自然療法を学んでわかったんです。どうして痛むのか、どうしてその病気を手放せないのか、原因に気づくきっかけは鍼灸でも、アロマなどの香りでも、星占いでも何でもいいんです。自然にあるモノを通じて、病気や不調の理由に気づいたり、自然治癒力を高めたりするのが自然療法だと考えています。

その自然療法の学校にはどのくらい通っていたんですか?

色々な受講コースがあり、それぞれ単体であれば、半年くらいで認定をもらい授業も終了になります。でも、アロマテラピーのインストラクターの資格を取得したら、次は女性の身体のリズムのメソッドの受講したくなって、マタニティのコースにも手を出して、ホロスコープにも興味が湧いて…と、自然療法への興味がどんどん広がってしまい、そのうちに先生が経営する治療室でも働くようになったんです。

治療室ではどのような仕事をしていたんですか?

治療室には助産院が併設されていて、逆子や身体の冷えに悩む妊産婦さんにアロマテラピーや鍼灸を施したり、お産のさい、なかなか陣痛が進まない妊産婦さんのツボを押してリラックスさせ、陣痛を促したりしました。妊産婦さんがリラックスして〈雌〉になれていないと、赤ちゃんは出てこれないんですよ。

Advertisement

面白いですね。邪念があると、出産できないんですね。

本当にそうなんです。妊産婦さんの心の準備が整って、骨盤も安定し、あれこれと考えるのをやめて完全に雌になったときに赤ちゃんが出てきます。妊産婦さんに施術したり、お産に立ち会ったりできたのは、私が女性だったからなのかな、と感じますね。ただ、治療室で働いていて「あんたも早く結婚して子どもを産みなさい」と先生にいわれるのはすごくストレスでした。自分が出産を経験していないのに、妊産婦さんたちにアドバイスなんて何もできないのではないか、と悩んで苦しくなったこともありましたね。

今でも、その苦しさは感じますか?

それが今は全く感じないんです。これも本との出会いですけど、たまたま手にとった『蠍座の君へ』という本の最後のページに「人と繋がることが夢に繋がる」と書いてあるのをみて、すーっと楽になったんです。私がすべてのことを勉強したり、経験したりしなくても、経験者や専門にしているひとと繋がればいいんだ、と考えられるようになりました。子どもは産めるひとが産めばいいし、私は産む女性をサポートできる立場だから、自分のできることをすればいいと、今は思えます。

自然療法を通して女性の身体について知ることは、女性である自分自身を知ることにも繋がりますよね? 自然療法を学んで、自分自身についての気づきはありましたか?

瞑想などを通して自分自身を見つめるということには慣れていたので、自分の考えや感情に目を向けられるようになりました。そのなかでも、自分の感情に改めて気づけた瞬間は、自然療法の先生のもとを離れるときでした。

詳しく教えてください。

2015年に、ワーキングホリデーのビザを申請してドイツに行ったんです。それが終わって日本に帰ってきてから、自然療法の先生たちの家で居候をはじめました。最初のうちは良かったのですが、やっぱり途中からしんどくなってくるんですよ。学校、治療室、家で常に先生と一緒にいると、気を遣っている状態がずっと続いて、仕事とプライベートの区別がつかなくなり、自分で勝手に苦しくなりました。

家では先生から、なにかをやるように指示があったんですか?

いえ、先生から指示があったというよりも、自分が勝手に「あれも、これもやったほうがいいだろう」と考えてしまっていたんです。そういう生活を続けるうちに、とうとう寝れなくなってしまったので、意を決して先生と話をしようと決めました。

「この生活が苦しいです」と伝えたんですか?

それがいえなかったんですよね。そのときは無意識に、色々な言い訳を並べて、肝心なことをいわないように話をしていたら、先生がひとこと「不満しか伝わらない」といったんです。それですーっと楽になりましたね。私は「不満だ」と主張したかったのか、と。その気持ちを避けて、言葉を巧みに並べてごまかしていた自分に気づいたんです。ドイツでは、ろくにドイツ語も英語も話せなかったので、自分の気持ちや欲求をストレートに伝えるしかなかった。でも日本に帰ってきて、言葉で嘘をついて気を遣いながら生きていたら、そりゃ辛いよな、と気づいたんです。そのとき先生に「あんた自由じゃない、何勝手に繋がれてると思い込んでるの」と背中を押されて、気づかせてもらったんですよね。

1546931596742-IMG_6045_r

自分を縛ってたのは自分自身だと気づいたんですね。

私、自分の感情に気づいたりするのが好きなんです。誰かを治療するときも、自分の体験とか気づきを通して相手をみているので、自分の成長や自分がどう変わったかを考えるのがいちばん好き。「自分はこうだから」という基準があって初めて、相手のこともわかると考えているので、〈自分〉は、そういう意味で研究対象ですね。

Advertisement

自分研究が好きなんですね。

自分研究はもはや趣味ですね(笑)。なぜ自分はその行動をとったのか、なぜそういう気持ちになったのかと考察したり、いかに自分の潜在意識に気づくかを考えたり。そういうことにしか興味がないので、今はもう妊娠ということに囚われていないし、そもそも、なぜそんなに妊娠したかったのだろう? と考えるようになりました。

今の社会は、女性が子育ても仕事も頑張れるように応援するような動きが強いと感じますが、その応援される〈女性〉の枠からは外れているということですか?

そうですね。今は、自分研究の範疇から〈出産〉という部分が完全に外れてしまっているので、私はもうそこからは解放されています。なんとなくですけど、女性が応援されるいちばんの理由は〈少子化〉だからなのかな、と。〈働きやすい社会〉というのは、子育てのしやすさや子どもの産みやすさという意味も含んでいるのだとしたら、少子化対策の目的で応援されるのはどうなんだろうな、と少し感じます。その社会によって、実際に子育て中のかたが救われる部分があるなら良いですけど、いっぽうで「私も子どもを産まなきゃ」と焦るかたがもしもいるなら、それは良いことではないでしょうし。

子どもを産む、産まないも含めて、女性としてどのような選択をしていきたいと考えていますか?

やっぱり、自分で選択することです。なにがしたいか、という願望で選択すること。誰かからのアドバイスを参考にすることは大切だけど、自分で考えずに鵜呑みにしてしまったり、損得を天秤にかけて決めたことは、結局ひとのせいにしてしまったりするじゃないですか。願望に忠実かどうか、快か不快かで物事を選択したいですね。 そのためにも、自分を知ることはすごく重要だし、やっぱり自分研究って面白いんです。1年後、自分がどこで何をしているか、自分に何が起こるか、考えかたにどう変化が起こるかが楽しみなので、そのときの感覚や願望に従って生きてみたいです。